「海のプラネタリウム」は、この作品と対になっている「天上のブランコ」(このホームページの写真の女の子はすべて「天上のブランコ」の表紙モデルをしてくれた姪のクラリッサです。おかげさまでこんなに大きくなりました。ちなみにプロフィールの写真の中央は私の母です)よりも早く思い浮かんだのですが、「天上のブランコ」が言葉の思い付くままにほぼ四回に分けて書き、最後までを書き終えるのにそれほど時間が掛からなかったのに対し、「海のプラネタリウム」は、音楽もセリフもない映画の映像のようなものが思い浮かんだため、最初は脚本の形で書き始めました。その思い浮かんだ映像が、いつの時代か分かりませんが、かなり古い時代の牧歌的なイメージのもので、その見たままをそのまま書くと、当時自分が文章作品として描きたいと思うイメージのものとは違ったものになりそうだったので、映像から受けた物語の本質的なものは変えずに別の新たな表現にしていくことにしました。『子供の頃〜』から始まる一連の詩は、原稿を書き始めた時からはっきりと意識の中にあったので、脚本の形の頃からのものをそのまま書き残したのですが、チューリップに触れていく内容をどうするかを決め兼ねる心情があって、というのは、色のイメージが濃淡のあるぼんやりとしたはっきりと見えない感覚に覆われていて、感情はあるのに、明確な言葉としてなかなか現れてくれなかったことがあったからなのですが、無理をしてもいい結果にはならないと思い、結局十年くらい寝かせておきました。でもその間に、独立した詩として、「海のプラネタリウム」を意識しないところで関連のある詩を書いていたことに気が付いたので、おかげさまで書き終えることが出来ました。中でも、赤いチューリップの独立詩の「赤い色彩」は、初めはこの詩の心情が捉えている赤いイメージを英語の単文二行で書いておいたものだったのですが、その後、それを日本語で詩にしたくなり、書いたもので、イメージは同じでも翻訳ではない形にしたという意味では、「海のプラネタリウム」を書いた経緯と似たところがあるかもしれません。
この物語を思い浮かべることの特に多かった図書館で働いていた頃、仕事を終えた後、月といっしょに歩いて家に帰ることが多かったので、本文ページに月のデザインを入れてくださったことは本当に嬉しいことでした。月の光が映像を見せてくれたのかな・・・・・・と思うことがあったので。もう誰も歩いていない、車もほとんど通らないオフィスビルの街を歩いていると、時々、車を道端に寄せて金管楽器の練習をしにきている男の人の演奏が聞こえてくることがあり、少し離れた別の道からそんな思いがけないひとときをもらっていたこともその頃のいい思い出として残っています。
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