保坂さんは現在も手書きで小説を執筆しているというが、保坂さんが感じる手書きで書くことのメリットとはなんなのだろうか。

保坂:
デビュー作の『プレーンソング』を書いたのが88年、89年だったんですが、その時すでにワープロを持っていたのに、手書きで書いていたんです。それには、ひとつ理由があって、当時、会社員で、会社を抜け出して書いていたから、原稿用紙じゃないと書けなかった(笑)。ただね、そうしているうちに手書きの方が自分には合っているな、と。手で書く方が、憶えてるんですよ、書いたことを。それに、原稿用紙に書くと、枚数の展開っていうのが自然に感覚で入っているんだけど、ワープロだとそれが分からない。全部がすごく記憶しにくい。それが原稿用紙だと、記憶が空間に置き換えられるようなところがある。1枚1枚めくったりすることで、その空間が記憶される。ところがワープロだと、ほんとにどんどん切れ目なくスクロールしていっちゃうか、長さが本当に内容そのものになっちゃうんです、空間化されずに。ただ、そういう手段とか道具とかが合う合わないっていうのは人それぞれだろうから、とにかく、手書きもパソコンもどちらでもしばらく書いてみるとか、色々と試してみた方がいいんじゃないのかな。選択肢は極力いっぱい使った方がいいと思います。

小説について考えてきた保坂さんは、その著書の中でも哲学の知識について記しているが、考える姿勢というのは、哲学から学んだものではない、という。

保坂:
哲学の本を読むのは好きだけど、基本は小説なんですよ、全部。みんな、僕がちょっと哲学の本を読んだりするからそういう風な考え方をするんだと思っているんだけど、そうじゃない。そもそも小説自体がものを考えるためのメディアなんですよ。決まり切ったストーリーなんかを書いてたら、いくら書いたって、せいぜい少し取材能力が高まったりするだけで、ものなんか考えられないですけど、本来は小説っていうのはものを考えるためのメディアなのであって、僕は小説書いたり読んだりすることで、今、自分が考えているような考えを持つようになったんです。小説読んでボンヤリとしか読めない人は、やっぱり哲学だって読めないと思いますし、本当の意味で言えば、哲学書より小説の方が難しいし、注意力が絶対必要になるんです。

真摯に小説と向き合い小説を書き続けてきた保坂さんだが、小説を書き続けていくコツのようなものはあるのだろうか。

保坂:
いや、僕はあんまり小説を書いてないんで(笑)。次の小説を書くまでの時間がすごく長いんですよ、人より。だから、そのあいだ他のことをしていないと、まあ、収入がないっていうのもあるし、手持ちぶさたっていうのもあって、それであの『世界を肯定する哲学』みたいなものを書いてみたり、小島信夫さんと往復書簡(「小説修業」)をやってみたり、小説とちょっと接している他のことをやるんですよね。今もその時期ですね。だからね、人ほどコンスタントに書き続けてないんですよね。

しかし、一作を書いて書けなくなってしまう人もいる中、保坂さんは自分のペースで一作一作丁寧に、書き続けている。

保坂:
いや、小説ってね、基本的には一作を書いたら、次に書くものが出てくるんですよ。だから、書くものがないって思う人は、小説がフレームの中にあるものだと思っているんだと思いますね。きちんと枠のある中で何かを配置するものだっていう風に考えているんじゃないかと。小説って枠があるものと考えちゃいけないんだよね。そうじゃなくて、水が源流から湧き出したら、その水の流れはいつまでも続いていくじゃない。それでその流れは段々段々太くなる。小説もそういうものなんだよね。それを便宜的に、ここからここまでって流れの一部を取りあげるというだけで、流れは小説の終わりで終わっているわけじゃない。そこまで流れて来たことで、自然と続きの流れが出てくる。だから、枠の中のものじゃなくて、その小説がどんどん拡がっていくものだと思っていれば、一作で書ききったっていうことはないんですよ。

その流れが実際に小説という形をとるためには、何かきっかけのようなものが必要なのではないかと思うのだが、「小説の自由」など小説について考えることは、次の小説に結びつくこともあるのだろうか。

保坂:
それはあまりないですね。きっかけを探すっていうと短いスパンの動機付けみたいな響きがあるけど、そういうんじゃなくて、もっとずっと漠然と次の小説の向かう方向を手探りしているような・・・、ま、時間稼ぎですね(笑)。小説って社会の経済活動と別のところにあるはずなんですよ。だから、できるだけ働かないようにしないと小説家じゃないんですよ、本当は。寝る間もない売れっ子作家ってさ、ほとんど自分の書いた文章を読んでるだけだったりするわけじゃない。やっぱり、そういう人は小説を愛してないんですよ。だいたい、売れっ子になって20年は遊んで暮らせる収入が入ったんだったら、20年遊べばいいんだよね。本読んでぶらぶらすればいい。働いていると実は人間って頭使わないんですよ。「なんで生きてるのか」とか、「この世界ってどういうものか」っていうのは、働いている時には考えないようになっている。まあ、小説はかろうじてそういうことを考えるものだけど、あんまり全面的に小説を書いているとそういうことを考えなくなってしまう。だから、ほんとね、働かないことが、考えることに直面するんですよ。

だから、書かないようにして書き続けていかなきゃいけないのだ、と保坂さんは言う。

保坂:
ほんと言うと、小説家は働いちゃいけないんだよね。最低限のことでやっていけるようにしなきゃいけない。それが小説家の本来の姿のはずなんじゃないかなあ。みんなほんとに働きすぎだよね。だから、社会的な怠け者ってたくさんいるわけだけれども、そういう人って、第一に小説家には向いてると思う。ただし、小説についても怠けてる人はだめ。そこは怠けちゃいけないんだよね。それが現実にはさかさまになっていて、ほとんどの小説家と呼ばれている人が、社会生活においては働き者で、小説を考えることにおいては怠け者だったりする。小説ってさ、自分で小説について考えていないと、自分の書いた小説のいいか悪いかが、他人の判断になっちゃうわけでしょ? そうすると、いっつも評価が不安になってくる。でも、小説について考えていると、人よりも自分の方が考えているんだから、人の評価なんか気にしなくていいわけ、評価に左右されなくなってくるんですよ。そのためにも小説について考えることは絶対怠けちゃいけないんだと思う。
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