特集
【閉じる】
 2005年2月 執筆前夜
渡辺 あや さんインタビュー (全4回)
取材・文/小山田桐子 撮影/石原敦志
撮影協力/DANGURI(港区南青山 2-2-15-105 / 03-3403-9555)
第1回

 ゼロからひとつの世界を作り上げるクリエイターの仕事。ゼロが1になる瞬間ともいえる、一文字目を書き付けるその時に至るまで、プロは何を考え、何をしているのか。プロの創作の秘密に迫るインタビュー、今回は、複雑な余韻を残す恋愛映画の傑作『ジョゼと虎と魚たち』で鮮烈なデビューを果たした脚本家・渡辺あやさんにご登場いただいた。第1回ではシナリオを書くまでの経緯をうかがう。

2003年に単館上映ながら、記録的なヒットとなった犬童一心監督作品『ジョゼと虎と魚たち』。田辺聖子さんの原作世界の魅力を伝えつつ、原作とはまた異なった、リアルで、愛おしくて、苦しいほどの切ない映画版『ジョゼと虎と魚たち』の世界を創り上げたのは、これがなんとデビュー作となる渡辺あやさん。『ジョゼと虎と魚たち』の話がある前から、同じく犬童監督の映画化を前提とした企画の脚本を執筆していたという渡辺さんだが、そのさらに前はといえば、島根県で雑貨屋を経営しながら主婦として、一児の母として日々を送り、自分が脚本を執筆することなど、考えたこともなかったのだという。

渡辺:
友達に手紙書いたりとかは大好きだったし、本を読むのもすごく好きだったんですけど、なまじ好きな分、そんな才能は自分にはないと思っていたんです。本を読んでいると、どういうレベルに達しないと、世に出せないかというのが分かるじゃないですか。それは私にはできないと思っていたので、書き出すこともなく、小説家になりたいなんて考えてもみなかったですね。脚本家なんて夢にも思いませんでした。


 しかし、小学校の時だけは、童話を書いていたこともあったそう。

渡辺:
夢中で書いていたのを覚えています。今の脚本を書く時の気持ちとその時の感覚とはすごく似ていますね。でも、中学生になると、もっと楽しいことがあったり、悪いことなどもしてみたり(笑)、友達と遊んだり、人を好きになったり、と現実の方が忙しくて、書くこともなくなってしまいました。そのうちに読むものも変わって、真面目に純文学とかも読むようになりましたが、自分が書けるとは思いもしないで、読む側の人で一生終わるんだろうと思っていました。映画や本は一貫して好きですね。マニアではなく、普通に見たいものだけ見るという感じでしたが。


 育児で家に籠もるような状態になったことが、渡辺さんを脚本へと導く。

渡辺:
子供が生まれて2年ぐらいは島根県の田舎で籠もって暮らしてたんですよ。そこで、育児ノイローゼの一種みたいな感じになってしまって。なんか楽しいことはないかなと思っているうちに、妄想として物語が頭の中にわいてきちゃったんです。


 普通は書こうという意思をもって物語を作るだろう。しかし、渡辺さんの場合は、物語の方から押し掛けてきてしまった、としか言いようのない状況だったようだ。

渡辺:
ほんとそうだったんですよ。自分の中の妄想が勝手に暴走しはじめて、危ない人一歩手前みたいな感じで(笑)。現実逃避でしたね。それで、浮かぶことを書き留めていったら、脚本という形になりました。


 その際、物語を小説ではなくシナリオという形にしたのはなぜなのだろうか。

渡辺:
一番自分から離れている、遠い世界を書いていきたかったんですよ。それが、私にとってより楽しい現実逃避だったんですね。脚本だったら、明らかに自分とは違う人を客観的に見守って、短く書いていけばいい。小説だと地の文とかもあるし、自分に近いものになってしまうんじゃないか、と。シナリオの書き方も知らずにただ書き上げたので、人に読んでもらう時に、どういうフォーマットにしなくてはならないかというのは、後から向田邦子さんの本などから学びました。


 そうして書き上げた脚本を、渡辺さんは岩井俊二監督のオフィシャルサイト『円都通信』の中のシナリオ募集のコーナー“シナリオどーんと来い”(現・ PLAY WORKS )に応募する。

渡辺:
書き上げたところ、自分的に大傑作だったんです(笑)。書いた世界や、キャラクターをまず自分が楽しんだし、大好きになったんですね。これは是非、応募しようと思って。それが、『少年美和』というお話です。

 その脚本そのものの魅力はもちろん、第1稿に対する厳しい指摘に的確に反応し、さらなる魅力を持った第2稿を完成させた精神的なタフさが評価を受けた。

渡辺:
しな丼のコメントを担当していた久保田プロデューサーに、「自分は好きな話なんだけれども、あまりにも淡々としていて、映像的なピークが想像できない」と言われて。素人だし、映像的なピークっていうのがまずどういうことか分からなくて、落ち込みましたね。それで、BBSに「どういう意味か教えてください」って書いたら、久保田さんがまた丁寧にこういう感じのことですって説明してくださったんですよ。それを2ヶ月ぐらい自分なりに考えて、まあ、こういうことですかね、という感じで書き上げた第2稿を送りました。


 映像的なピークを素人に求めるとは、かなり難しい注文だが、そのハードルを下げない姿勢は、プロを目指す上でとても分かりやすかったのだとか。

渡辺:
絶対ハードルは下げないというのは、久保田さんのスタンスであるし、岩井さんも久保田さんに求めてらっしゃったスタンスだと思うんです。プロの視点でしかものは言わないし、素人だからって絶対歩み寄ってはくれなかったですね。それがすごくありがたかった。ダメなところはダメだと言ってくださるほうが、ここを乗り越えられたら、もしかしたらプロとして何かあるのかもしれないというハードルがはっきりするので。


 久保田プロデューサーに認められたことにより、渡辺さんはプロへの道を歩き始める。しかし、たとえなかなか認められなくとも書き続けていたと思う、と渡辺さんは言う。

渡辺:
最初にシナリオを書いた時に、自分的に大発見があったんですよ。あ、こんなことができるんだって。パソコンの中で、どう使うか分からなかったアプリケーションを開いてみたら、これでこんなにいろんなことができるんだ!って発見した気持ちと似てますね。この書くということさえあれば、一生楽しんでいける、ぐらいの感じがあったんですよ。だから、ものにならなかったとしても、勝手に書き続けていたと思います。


 次回は、『ジョゼと虎と魚たち』についてうかがう。
第2回

 第2回ではデビュー作『ジョゼと虎と魚たち』を書き上げるまでについてうかがう。

 岩井俊二監督のホームページのシナリオ募集のコーナーで、その才能を認められた渡辺さんは、その後、田辺聖子さんの短編『ジョゼと虎と魚たち』を原作とした脚本でプロデビューを果たした。この作品のシナリオ化を引き受けるにあたり、実は渡辺さんには少し迷いがあったのだとか。

渡辺:
田辺さんのファンだったので、脚本化なんておこがましいんじゃないかというのと、自分がオリジナルで書いていた脚本にちょっと似てる、ということがあって、お引き受けするか少し迷いました。似てるといっても、シンプルなラブストーリーで、魚が出てくる、といった細かいところなんですけど、イメージがかぶる部分があって、そうなると自作の方が発表できなくなるんじゃないか、とかいろいろ姑息な計算もありまして(笑)。でも、そんなことを考えながらも、やっぱりやってみたかったんですよ。田辺さんの原作を脚本化させてもらえるなんてもうないかもしれないし、私が断わることで他の人が書くことになるのも嫌だなと思ったりして。


 そして、脚本化に取り組みだした渡辺さんは、まず主役の二人のキャラクターを生き生きと膨らませていく。

渡辺:
ストーリーについては、何を描けばいいかというのは原作の中にあるので、やっぱりあとはキャラクターにどう肉付けするかですよね。肉付けできたら、それからはもう主役の二人が頑張ってくれるんで(笑)。ジョゼは原作の中にすでに明確な輪郭があるのですが、恒夫の方はごく普通の男の子として描かれていたので、このままの恒夫で映画にすると、“ザ・純愛”みたいな作品になってしまうのではないか(笑)と思い、そうではない方向にするには、どうすればいいかな、と考えました。


 そもそも、この映画の主役であるジョゼと恒夫はそれぞれ、池脇千鶴と妻夫木聡が演じることは決まっており、渡辺さんは二人が演じることを念頭に置いて脚本を執筆していた。恒夫のキャラクターは妻夫木が出演している映画『ウォーターボーイズ』の一場面を見た瞬間に掴んだ、のだという。

渡辺:
とりあえず、妻夫木くんのことをよく知らなかったので、「ウォーターボーイズ」を見たんですよ。それで、たいがいの女の子が胸キュンする(笑)、プールから上がって好きな女の子の前で踊るというあの有名なシーンで、私も例に漏れずキュンとしてしまったんですが、その瞬間に、よし、書ける!と。あの映画の中で、妻夫木くんは「鈴木」というちょっと情けないキャラを演じているんですけど、あのシーンで見せた笑顔に素の妻夫木くんを垣間見た気がしたんです。実は生命体として強い、健やかな野生動物といった印象を受け取って。この男の子に、こうやって近づいて来られたら、女の子は舞い上がるけれども、じゃあ、その後に彼がどう振る舞うかっていうのも、ぱっと見えてしまったんですね。彼が女の子をどう幸せにして、どう不幸にするかっていうのがぱっと見えたというか。それをそのまま書いたって感じですね。ストーリーはシンプルでも、その危うい魅力をきっちり物語の中に写し込むことができたら、面白いものになるのではないか、と思いました。


 キャラクターに魂が吹き込まれ、その世界が生き生きと動き出すまでの過程を、渡辺さんは潜水を例に話してくれた。

渡辺:
私の書いている時の状態というのは、潜水に似てるんですよ。水に潜るまでは浮力に逆らう力が必要なんですけど、いったん頭まで入ったら、浮力を感じずにそのままふうっと水の中を移動できますよね。自分でもびっくりするぐらい息が続くし、遠くまで行ける。水から顔を出してみると思いもがけない遠いところまで来ていたりする、あの感覚に近くて。ある程度の深さにもぐるまで、つまり最初にキャラクターを掴むまでは、調べたり、映画を観たりといろんなことをするんですけど、浮力がふっと軽くなる瞬間があるんですよ。その世界に自分がいて、自分が実際その社会を見ていて、そのキャラクターたちが彼らの生命力に任せて動き回る瞬間がくる。それから後はキャラクターが勝手にいろいろとしてくれるのでお任せしているという感じです。なんだか霊視の話みたいですが(笑)、大体いつもそんな感じですね。


 キャラクターが掴めさえすれば、あとのことは自然とついてくるというが、それまでの確かな人生や育ってきた環境などまで感じ取れるようなリアルな人物描写はどう生まれるのか。

渡辺:
そのキャラクターたちと長く一緒に過ごしている感じですかね。例えば、現実の生活の中でも、人と会う回数を重ねる度に、ちょっとその人の過去が見えてくるというか、その人についてなんとなく感じ取れるものがありますよね。別に過去について具体的に会話しなくても、ご両親こんな感じなんだろうな、とか、伝わるものがあると思うんです。そういう感じと似てますね。何回も読み直したり、改稿したりするうちに、性格だけでなく、家族とか子供時代についてもこうだろうなっていうのが、なんとなく分かってくる。実家に法事があったら、ちゃんと帰る子なんじゃないかな、とか。その人物を知るためには、まずその人物を私自身が好きになることがすごく大事ですね。好きな人のことなんだから、いろいろ知りたい、という感じでしょうか。


 『ジョゼ』の第一稿を、渡辺さんはわずか一週間で書き上げる。

渡辺:
恒夫のキャラクターがつかめた瞬間に、映画を見終わった後にどういう風な余韻が残るかという到着点が見えたんですね。あとはどういう風にストーリーをつなげていけば、書いている私自身も含め、映画を観る人の感情が、その到達点にたどり着けるかっていうのに、全神経を集中して、一週間ぐらいでがっと書きましたね。


 次回では、第一稿を書き上げたあとに待ち受ける改稿という過程、そして『ジョゼ』以降の活躍についてうかがう。
第3回

 第3回では『ジョゼと虎と魚たち』が完成するまでとその後の活動についてうかがう。

 『ジョゼと虎と魚たち』の第一稿を短期間で一気に書き上げた渡辺さんだが、その後、決定稿に至るまで、何度も改稿を重ねていった。

渡辺:
実際映画になった3,4倍のエピソードは書いたんじゃないでしょうか。決定稿ですって提出した時には、プロデューサーや監督からの要望に答えられなかった部分も多くあり、あれもできなかった、これもできなかった、と自分の力不足を感じて、もうダメな脚本だ、これが私のデビューか、ってがっかりするぐらいでしたね。


 様々な立場の人たちの声や指摘に耳を傾け、変えるところは変え、残したい部分は主張してでも、残していく。自分のバランス感覚を頼りに、取り入れるべき意見と守るべき箇所を判断していくという作業は、その難しさが想像される。

渡辺:
『ジョゼ』の時に一番きつかったのは、ハッピーエンドにしてはもらえんか、と言われたことですね。プロデューサーにも「ハッピーエンドじゃないと、お客さんは2回3回見てくれないんだよね」って言われて。最初はありえません、って言ってたんですけど、「映画ってみんなのものだからさ、お客さんを勇気づけることも大事だよね」とか切々と説かれて、ええ、そうなのか!?とか思ったりして。それは相当苦しんで、悩みましたね。毎回改稿を提出する度に、ハッピーエンド版とハッピーエンドじゃない版と、何案か取りそろえて提出していました。


 最終的に映画となったラストシーンは、アンハッピーエンドのものであるが、どこか力強い前向きな余韻が残るものとなっている。

渡辺:
観た人がどう思いたいか、という風に考えて監督がそうしたんじゃないでしょうか。でも、私はやっぱりあれがハッピーエンドだとは思えなくて。恒夫は去ってしまったけれども、ジョゼはたくましく生きていきます、って思えば楽だし、気分的にも晴れやかになるけども、もしかしたら、彼女はとてつもない痛手を負ってるかもしれない、と思うんです。もちろん、あれをハッピーエンドと思う人がいてもいいとは思うんですけど、私はああいうキャラクターをつくった者として、やっぱり最後まで手を離せない。最後のひとりとして、つらいんだったら、そのつらさを私は分かってるわよ、と言ってあげたいんです。


 渡辺さんだけでなく、関わった全ての人がこの映画をそれぞれに深く思い、信じていることが、画面に満ちあふれているようで、観る者もやはり、この映画を深く愛さずにはいられない。

渡辺:
妻夫木くんがインタビューで言っていたんですけど、映画と恋愛をした感じがするって。いいこと言うなあ、と。まさにそういう感じがするんですよね。私はボーイフレンドが忘れられなくてつらい思いをするという経験を一回もしたことないんですよ。でも、この映画に関してだけはひきずっていますね(笑)。


 『ジョゼ』の後に完成させた脚本が、本年の公開を予定しているオリジナル作品『メゾン・ド・ヒミコ』。独り身のゲイの老人たちが集まる老人ホームを舞台にした人間ドラマである。

渡辺:
この企画はジョゼより先にあったもので、4年ぐらいかかって書きました。老人ホームが舞台で、ゲイの人たちのお話で、というのは難しかったですね。何より、卑弥呼というキャラクターがカリスマ的な存在なので、自分で創り出してしまったものの、なんて大それたことをしてしまったんだろうと思って。限界まで頑張って倒れたこともありましたね。原稿を渡したその日から、知恵熱みたいなのを出してばたんと倒れてしまって、一週間ぐらい寝込んだんですよ。その後、ジョゼの話が入ってきたので、しばらくしてから見直したんですが、時間をおいたことで、まだ行ける!と思えましたね。すごい狭いところをぐるぐるぐるぐる回ったりすること、私はしょっちゅうあるんですよ。一回抜け出さなきゃいけないんだけど、そうなってしまうとなかなか難しい。そういう時に、いったん時間をおくのは大事なものなんだなと思いましたね。


 監督は「ジョゼ」の監督もつとめた犬童一心。大ヒットとなった前作と同じコンビということで、かなりのプレッシャーかといえば、「それはない」と渡辺さんは軽やかに否定する。

渡辺:
この間、私は第二子を出産したんですけど、二人目は一人目よりIQの高い奴を生んでやろう、とか思わないじゃないですか(笑)。それと同じで全然関係ないと思いますね。それぞれにオリジナルの過程があるから。


 たくさんの構想があるという渡辺さんだが、自分がイメージする世界をより確実に見るために、いつかは監督もしたいのだという。

渡辺:
もう頭の中で出来上がっている世界に一番近いものを形にするには、自分で演出しないとダメなんだろうな、と。ジョゼとかでも、自分がイメージしていたのと違っている部分は全然違うんですよね。それはどっちが正解ということではなくて、違うというだけのことなんですけど。それを本当に自分が思っている通りにやろうとしたら、監督って立場になるしかないんだろうな、と。結局、脚本って完成品のためのたたき台ですからね。だから、夢は完成品を作ることですね。


 次回では、創作のヒントについてうかがう。
第4回

 第4回では創作のヒントについてうかがう。

 渡辺さんの作品世界には、今この時にリアルに迫ってくる今日性と共に、何年後、いや何十年後に見たとしても、新鮮さを与えてくれるだろう普遍性が感じられる。

渡辺:
長く保つもの、残っていけるものを、というのは意識して作っていますね。賞味期限の短いネタを作ってしまうと、そこから簡単に腐っていってしまうので。でも、例えば、援助交際をネタにするとして、10年後に援助交際という言葉がなくなっていたとしても、そういうことをやってるちょっと不機嫌な女の子とか、上手く生きていけない感じっていうのは、私はあまり変わらないと思うんですよね。そこの焦点を外しさえしなければ、後はどうにかなるんじゃないかと思います。


 また、渡辺さんの作品には独特のユーモアがある。声をあげて笑わされたかと思うと、そのおかしさの奥にある切なさにどっと胸を突かれる。笑いと哀しみの自然な共存は、より“ほんとう”に近いという印象を受ける。その絶妙な笑いのセンスは関西出身ならではの英才教育(?)により培われたとか。

渡辺:
関西に住んでいると、上手にボケられるとか、上手にツッコめるとかいうことが人としてのたしなみみたいなところがあって(笑)。ボケかツッコミかどちらかの役割をやらなくてはならなかったりするんですよね。笑わずに人と話すなんていけないこと、ぐらいに思ってるんで、自然と鍛えられてるんじゃないでしょうか。オチのない話をするなんて、人としてどうなの、という環境ですからね。でも、映画での笑いは難しいですね。実際、映像にする時には、編集の間合いなどで笑えるかどうかって決まってくると思うんですよ。だから『ジョゼ』を見て、笑っていただけたとしたら、それはそのシーンを映像化した犬童さんのセンスだと思います。


 また、渡辺さんは現在も島根で仕事をしており、必要に応じて東京に出かけるというスタイルをとっている。最近、地方発信のアーティストの活動が話題になることも多いが、渡辺さんの場合はそういった肩に力の入ったものではなく、家族でそこに暮らしているから、という極めてシンプルな理由による。地方で創作活動をすることに結果的になったことの利点を、あえてあげるとするとどんなことだろうか。

渡辺:
いいことはですねえ、他に娯楽がないこと(笑)。楽しいことは自分で作り出すしかないわけです。夜も早いし、遊びに行くところも多くはないし、誘惑がなくていいですね。そもそも、脚本を書くようになったのも、私の人生もう楽しいことなんかないわ、と思ったのがきっかけですからね。だから、あんまり現実の生活が楽しくなっちゃいけないと思っています。


 映画作りの現場なども体験し、様々な人と出会い、現実が楽しくなってしまうことに、危機感を覚えたこともあったという。

渡辺:
『ジョゼ』の現場には1ヶ月ずっと通ってたんですよ。娘も実家に預けて、都内に自費でマンスリーマンションを借りて。で、現場に行ったら、もう楽しくて楽しくてしょうがなかったんです。あまりに楽しくて、このままでは書けなくなってしまう、という危機感を覚えるぐらい(笑)。つまり、自分の現実が楽しくなってしまうと、それを大切にするがために作品を書こうとしてしまうという、本末転倒なことが起こりやすいと思ったんですよ。どんなに楽しい現場であっても、それがチームみたいになって、その人間関係によって仕事が発生する、というのは違うんじゃないか、と思ったんですね。私はどんなに仲良くなったとしても、それは全て作品のための人間関係であって、手段でしかないという風にわりきらないとならないと思っているんです。だから、仲良くなって、この人たちと仕事をしたいから、っていうスタンスでは絶対に、仕事をしないようにしようと、決めています。難しいことですけど。


 現実の自分と無関係な次元で創作することは難しい。こんなことを伝えたいという気持ちを持つことも、様々な現実的な事情に影響を受けることもあるだろう。だいたい、作り手が語りたいことを語る、という方が創作のスタイルとしては一般的なものかもしれない。しかし、渡辺さんは聞き手に徹するように、そのキャラクターや世界の言い分にひたすら耳を傾けて、物語を紡いでいく。

渡辺:
こういう言い方は本当におこがましいんですけど、なんかね、圧縮ファイルを解凍しているみたいな感じなんですよ。本当に届いた圧縮ファイルをただ丁寧に丁寧に解凍していくっていう感じ。自分で何か言いたいことを持っていて、それを登場人物たちに振り分けて言わせるのではなくて、どこかに私の知らない人たちがいて、世界があって、そこで、彼らが本当に言いたいことを忠実に書いていくという感じでしょうか。“私”はどうでもいいんです。私が持ってるポリシーとかはどうでもいい。だから、とにかくあんまり自分が能動的にならないようにはしていますね。
渡辺 あや● わたなべ・あや
1970年兵庫県生まれ。甲南女子大学卒業。島根県で雑貨屋を経営しながら、主婦として二児の母として暮らす。99年に映画監督の岩井俊二オフィシャルサイト“円都通信”の中のシナリオ募集のコーナー“シナリオどーんと来い”(現・PLAY WORKS)に脚本を応募しはじめ、その中の「少年美和」がコメント担当であった映画プロデューサー久保田修に認められる。03年には犬童一心監督作品『ジョゼと虎と魚たち』で脚本家デビューを果たした。また、大谷健太郎監督作品『約三十の嘘』では、共同脚本をつとめているほか、オリジナル・ストーリーである『メゾン・ド・ヒミコ』が本年公開予定となっている。
【閉じる】