Creator’s World WEB連載
Creator’s World WEB連載 Creator’s World WEB連載
書籍画像
→作者のページへ
→書籍を購入する
Creator’s World WEB連載
第1回 第2回 第3回 第4回
LINE

六芒星の印象──空想された生命活動の終焉

LINE

第一章

 この街に住み始めて、と言うよりこの地上に生きてきて何十年と時が経過しているのに、これまでの瞬間瞬間は何と(一時たりとも例外なく)濃厚に生きている感覚で彩られているのだろう。鮮やかな夏の避暑地での情事も、また染み渡る雨の中庭での逢瀬も、その時を僅かも濁らせることなく鮮明に、かつその甘美な印象がそのままに動き始め妙なる音色を奏でるように懐かしく思い返される。私がひとつの芸術的な部屋の中にそのすべての印象を仕舞い込み、時折反芻して自分の居場所を確かめられるようにしたのも、その印象のそうした濃厚な彩りに因る。書き上げられた物語のどの文脈の内にもその部屋の印象を入れ込んだはずなのに、午後の明るい陽光の中に浮かび上がる静かなレリーフが、その穏健な様相を外れて突然騒ぎ始めるように、それらの部屋の印象は、壊される痛みを自ら求め始める。もとより壊されることが、その永遠に続くと思われるような印象の行く末だったので、私は、平穏な窓辺にくつろぎながらもまた、濃厚な時の、その本来の痛みと向き合わなくてはならなくなる。こんな芸術的な静かな市街区で、まるで自由を散策し尽くせるような、孤独をもひとつの有益な痛みとして進みゆかれるような鋭角的な微睡みの薄明の中で、誰が、いつ頃から語り始めたかもしれないような、不思議な出来事を思案する。生まれ落ちる赤ん坊の小さな胸に、明確な六芒星の刻印が表れる事態を。それは、頻繁に起こっているのだろうけれど、私には一向に事実として眼前に示されない神秘的出来事となって夢魔のようなこのひとときの空気の内部に舞う。

 



第1回 第2回 第3回 第4回
LINE
第二章

 人々が、柔らかい陽光の入る窓辺にくつろいだり、ゆっくりとした足取りで辺りを散策するのは、この地上、あるいは自然の起こしていく美しい情景に、全く受け止められているといった強い確信が在ったからである。笑顔を絶やさぬ老人達の、まるで、歳を重ねる毎にその刻みはなお深くなっていくような華やかさの中に、私には決して見ることを許されないような、豊かな至福が息づいているようだった。本当に、それらの陶酔は、突き詰めれば自分ひとりだけの空しい幻想であるかのように思われるのだが、確かに、私の周りで繰り拡げられる賑やかな仲間達の熱い談話は、私を癒してくれそうに見えながら、常に私の情景の向こう側で展開されている私には決して触れられぬ魅惑的な世界の出来事のように見えているし、私がいくら、すべてを静観するという完全受容的精神で今のこの時間を生きようとも、残されていく膨大な情動の痕跡は私の大切な時間を切り裂くように痛めつけるのだったが、老人達は、まるで遠くに、次の、さらに刺激的な世界を見ているように安らいでいるのだった。私は、そのような穏和な情景の中で、私自身もまた、その老人達と同じ境地を共有できるような微睡みに包まれながら、別の違った場所で、亡くなった老人が突然生き返ったり、また、病に伏した者たちが元気に動き回る話題を何度となく聞くのだった。さらに不思議なことには、そうした奇跡的な回復の真っ直中に在りながら、自ら望むように倒れ、死にゆく者が、少なからず居るという事態である。彼らは決して、この世を疎んだり、また苦悩に押し潰されそうになりながらそうするのではないのである。



第1回 第2回 第3回 第4回
LINE
第三章

 私がこれまで数々の苦悩や喜びを乗り越えて生きてきたことの本意は、快楽を追い続けるといった現実的なこととして外に表されようが、確かな生きている意味を探し求め、そこに眠るためだった。排除され続ける私に向けられる仲間達や世間の風潮としての距離は、それは単に「愛されてはいない」という感覚だけでなく、私自身が全く人を本当に愛することができない(すべての存在は私自身が目的を達成する手段であると見定めてしまう)最後の痛みを打ち込むためのものだった。こうして、また、壊されゆく脅威的な事態を容認する力と、我が身の目的を「心より愛する」という方角に向けていく力は、私が、これまでの人生をことごとく回想し、そのすべての断章に、「消滅への美」を、「明滅する事態への慈愛」を注ぎ、ゆるやかにその切れ端に眠ることで引き起こされるのかもしれない。おそらく、これまで紡がれてきた生命史の真意は、その長い歴史的累積を遙かに超えて、今、この時代に花開こうとしているのかもしれない。人々が、自分の住処に静かに眠る穏和な夜にさえ、大空を覆うように巨大な板状の建造物が、それも誰がそのようにしたのかもわからぬ遠い神秘な意味のもとで、明らかに慄然と在ったのだから。血を吐き、床に倒れる老人、かすかに微笑しているようにも見えるその淡い唇から、「それでもいのちは紡がれるから」と僅かな細い声を刻む。生きている者も、死んでいった者も、同時に救われる場所があるから、と。六芒星を体に表し黙する赤ん坊は、いのちは自分の思考とは違ったところで生きるのだから、と。あらゆる自然が、あらゆる生命が、そのことだけを伝えようとしているかの如く、きらきらと、痛みも安らぎも明滅の事実だと言わんばかりに輝き、私を誘う。


第1回 第2回 第3回 第4回
LINE
第四章
 長い生命史に終止符を打つかのように起こされる数々の新たな変化(また、それは、進化の一形態に過ぎないのかもしれないけれども)、それは、天空に浮かぶ巨大な板がやがてゆっくりとある方角を目指して推進し始めたことに収束していった。地上の誰もが、それが当然の行為であるように、全く自然に、その板状の推進物に乗り移っていった。意見を異にして、どうしても相容れぬ双方が、相手を批判し尽くして自分を正当化し生き抜く、そうした行為の自然な推移を、全く唐突に、相手を敬い、愛を与えていこうとする行為に変える。まるで、それまでの戦いが、進化の一途上の夢魔だったように、誰もがその本当を探れ得ないいのちの具現の中で、尊いものはただ一つ、歴史とすべてのいのちを繋ぐ決して計れ得ない聖なる営みだと、自ずと分かるような、そんな静寂の中、件の板状推進物は、私たちの故郷を旅立った。やがて世界の果てのような場所に辿り着くと、もうすでに様々な生命営為を紡ぐ故郷から遙かに遠ざかったにもかかわらず、それらのざわめきが、愛し合いまとまり合う静かな生活の音調としてその場所に感じられるのだった。 GATE が空き、その中を板状推進物が通り抜けると、さらにまとまり収束し抜くいのちの音階が奏でられた。推進物を通過させた GATE は、やがてゆっくりと閉じられたが、その GATE の表面には、はっきりと、六芒星の印象が刻まれていた。私たちが達したその場所は、生きることも死にゆくことも様々な論説も、また溢れる情動も、すべてが溶かされ、意味も形態も浮遊し、一色にまとまるすべての基底のように思われた。様々な営為は、今までこれらの色彩の中に刻まれていたのかもしれない。これから生を紡ぎ始めるものも、また、すでに死んでいったものも、そこで、新たに生き始め、妙なる音節を、明るい願いを持ちながら交感させるのだと思った。