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生き甲斐 第9回

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智雄は人々との話し合いを繰り返した。すぐに賛成してくれる人もいた。最初は彼の話にまともに取り合わない人もいた。しかし移住したいという人が三人になると、残る一人もこの不便な山奥に一軒だけ取り残されてしまうかもしれないという現実に、嫌でも向き合わなければならなくなってきた。特に冬季、この山の中で一軒ばかりでは、果たして無事に生きていけるものかどうか。年寄りもいれば子供もいる。いざというとき、この山中に孤立してしまって動きが取れなくなってしまうのではないか。というわけで、結局、四軒とも一挙に移住しようということになり、昨年秋、みんなで山地から平地へ出てきたのだった。
今ではあの故里はどうなってしまったことやら。いくらか感傷的になって、昔のことを思い出したりする。そこにはまた義母も夫も眠っているのだ。おそらく雪に埋もれてしまっているだろうが、これが過疎の運命なのかもしれない。

二月二十六日である。柏木健一はこれまでの三回のときと同じく、公民館の「女性たちが綴る当地の歴史」の四回目に出席するつもりで出かけていった。この講座は大変勉強になる。地域のこともいろいろ知ることもできる。今回も聴講者は三十人ほど集まっていたが、やはり大部分は六十歳を越えていると見られる女性たちで占められている。健一自身もすでに年金生活である。腰痛に悩まされているのだが、我慢してバスに乗ってきた。
「豪雪と過疎の中に生きた女性たち」という題の下に、講師の話が一時間ちょっと続いた。そこでトイレ休憩である。




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生き甲斐 第10回

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「それでは、これから体験談をお願いすることにしたいと思います。山の奥の小さな集落で暮らしていられたという大沢文子さんです。今では平地のほうへ出てきておられます。それではお願いします」
司会の女性がこのように文子を紹介した。
文子は自分ながら案外落ち着いている感じだった。上がってはいなかった。人前で話などしたことがないと言って、プレッシャーに負けていた彼女はここにはいなかった。原稿を用意してしっかりと準備してきた安心感は大きかった。彼女は一言、自分は話すのが苦手なので文章を読ませてもらうことにしたい旨、前置きしてから原稿を机上に広げた。
健一はその文子の様子を見ていて、落ち着いているし、薄茶のツーピースもよく似合っているし、体格は普通といったところか―かつての健一自身の中学時代の担任だった清瀬先生に似た雰囲気で、親しみも感ずるようだと思っていた。文子がやおら原稿を取り出したのを見ると、彼自身も人前で話すのが苦手の部類に属するので、そのやり方を好感を持ってみていた。
文子の文章の中に俳句を詠んでいたことがあるという部分が出てきた瞬間、健一は彼女を自分たちのコースに誘ったらどうだろうかと考えた。講義終了後に大沢さんに声をかけて勧誘してみようと思った。健一は公民館主催の生涯学習教室にあって、その俳句コースに参加している。しかし、このコースでは高齢化が進んでいて、冬季には雪に足を取られて歩きにくいというので、句会に出かけてくることが難しい人もいる。できれば一人でも多くの句友を確保しておきたいところだ。



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生き甲斐 第11回

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俳句コースには、すでに六十年近く詠み続けているという大ベテランもいる。そのように長期間詠んできている人達の中に入ったことでもあり、俳句を始めてまだ二年目という健一自身は、句会の選句にあってなかなか採ってもらえない。ゼロ点ということもたびたびである。だが、彼としては、俳句の上手な人達に混じって、その人達からの厳しい批評も受けながら句作していった方が、よりうまくなるものと思っている。それにその人達の話の輪に溶け込んでいって、句会終了後に雑談しながらお茶をいただくのも結構楽しい。そんな仲間に大沢さんも入ってもらいたいと健一は思ったのだった。
だが、このときにはバス時間の関係で、健一は途中で帰宅してしまった。健一が文子のことを思い出したのは夕食後だった。(そうだ、彼女の家があるといっていた集落には、大沢という苗字はそんなにたくさんはあるまい。電話帳で調べてみよう)そう思った。電話帳をめくっていくと、彼女の集落には大沢姓が一軒だけあった。そこで、この家に違いなかろうと思って、健一はすぐに受話器を取り上げた。
「もしもし、大沢さんですね」
「そうです」中年の男の太い声だった。
「私、柏木といいますけど、お宅さんに文子さんというおばあさんはいらっしゃいませんか?」
「いや、いませんなあ」
「そうですか。でも、電話帳によると、お宅さんの町内で大沢さんというのは、お宅さんだけのようなんですけど」



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生き甲斐 第12回

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「いや、去年、他所から引っ越してきた人がいましてね。その人も大沢です。まだ電話帳に載っていないんでしょう」
「ああ、なるほど。では、すみませんが、その方の電話番号は分かりませんか」
「ええと、ちょっと待ってください」
このようにして求める大沢の電話番号も分かったので、健一はダイヤルしなおした。幸い文子は在宅していて、すぐに電話に出てくれた。
「ああ、大沢さん、私、柏木といいます。実は先刻、公民館であなたのお話を聞いていたんです」
「おやおや、それはまた…」
「ええ、そのときにね、あなたは以前には俳句をやっていなさったということでしたね」
「ええ、でもそれが?」
「それでね、公民館のほうにですね。六十歳以上の人達による生涯学習の教室があるんです。その中にですね、俳句コースというのがあるんです。そこへあなたをお誘いしたいと思って電話をかけました」
「そうでしたか。でも、いまはやっていませんので」
「でもさ、昔やっておられたんですから、その点は大丈夫ですよ。どうです、やってみませんか。それとも、大沢さんは今、何か別の趣味でも?」
「うーん、特にないですけど」
「だったら、なおさらですよ。趣味があれば大きな生き甲斐となって、これからの大沢さんの人生を支えてくれるに違いありませんよ。ぜひとも趣味をもたれたほうがよいと思いますね」