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生き甲斐 第1回

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今、文子は七十五歳である。そんな文子宛に一月半ば、一通の手紙が寄せられた。
滅多にないことである。差出人は「中央公民館・小森」となっている。
「〜このたび公民館では、「女性たちが綴る当地の歴史」という講座を開くことになりました。
その講座は四回に分かれていますが、その四回目(二月二十六日)に「豪雪と過疎の中に生きた女たち」 ということで、体験談をお聞かせいただくことになっています。
  そこで適任の方を探していたのですが、先日、婦人会の生活記録『アケビ』に掲載されておりました、
あなた様の文章「小さな集落から」を見つけました。体験談をお聞かせいただくにはまさにぴったりのお方 と考えられました。このような次第ですので、当日、皆さんの前に立たれて、 大沢さんの生活体験談をご披露いただけないでしょうか。 後日、電話を差し上げますので、ご快諾くださいますよう、ぜひともよろしくお願いいたします〜」
  さあ、大変なことになったと思った。文子はこれまで人前に立って話をしたことなどほとんどない。
それは大きな心的圧迫である。その夜、息子の智雄が会社から帰るのを待って相談を持ちかけた。
「おら、大勢の前で話したことなんかないがな」
「ウーンだけどなあ、簡単に断ってしまうのもどうゆうもんだか。こうやって、丁寧に 頼んできてるんだからさ」
 手紙を前にして、智雄もどうしたもんかと首をひねった。


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生き甲斐 第2回

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「ばあちゃんはさ、『アケビ』に昔のことを書いたとき、どんな気持ちがした?」
 公民館からの手紙を智雄の手から受けて読んでいた、孫の武夫が口を入れた。
「ウーン、そうだね、ちょっぴりうれしかったかな」
「だろうね。やっぱり、何かを書いたり話したりしてさ、それをいろいろの人に読んだり聞いたりしてもらえるのはうれしいよ。しかもそれはさ、特別、人に隠しておきたいようなことでないのが普通なんさ。むしろほかの人に知ってもらいたいような内容の事が多いはずなんだ」
「なるほど、そう言われれば…」
「だからさ、公民館の方としてはばあちゃんの文章を見てね、この大沢文子という人間はまだまだしゃべりたいことがあるはずだ、とまあ、このように睨んだんじゃないかな」
「うん、武夫、それは面白い。俺も賛成だな。いや、ナーニ、人の前に出たことがないなんて言っても、みんな同じ人間だがね。とって食われる心配はないんだから」
「だけど、上がっちまうんじゃないかと…」
「いや、自分のやってきたことだがね。これとこれをしゃべってるんだっていう風に、何を話すかということさえしっかりと決めておけば大丈夫と思うけどの」



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生き甲斐 第3回

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「いやあ、第一さ、ばあちゃんがこうして相談を持ちかけたということはだよ。それ自体、ばあちゃんとしては話したいんだという風にもとれるね」
「うん、それはいいことを言う。お袋、お袋の気持ちはさ、すでに武夫にはお見通しだよ。やってみようじゃないか。どうもさ、今の渋い顔はお袋には似合わんよ。そうやって人の前に出たりすることが、ひとつのきっかけになるような気もするけどなあ」
「だけどねえ…」
文子としてはなんとしても最後の踏ん切りがつかなかった。人前であたかも演説するように立て板に水といった具合に一方的にしゃべることに対する恐れである。
「どうやらさ、ばあちゃんはやりたい気持ちはあるんだけど、人前でしゃべることにプレッシャーを感じているらしいから、どうだろう、文章を書いておいて、それを読むということにしたら?そうすればこれはもう、小学生のころ、国語の時間などに教科書を読むように言われたときと全く同じ状態に、自分をおくことができるわけだから、差し支えないんじゃないかな」
武夫のこの提案はよい方法だと文子も思った。ただ、どれくらいの長さの文がよいのか分からなかったので、その点は公民館からの電話を待つことにした。



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生き甲斐 第4回

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一週間ほどたって、公民館の係員という女性の若い張りのある声が、受話器から流れてきた。
「もしもし、先日お送りしました手紙、ご覧いただけましたでしょうか」
「ええ、見たことは見たんですがね、私、話なんてとてもできませんて」
「そんなことおっしゃらないで、ひとつ、お願いしますがね」
「そうですね。強いてと言われるんでしたら、文章を書いていってですね。それを読み上げる
といったやり方ならできるかと…」
「ああ、もちろん、それでもいいんです。ではお願いできますね」
「分かりました。で、文章の長さは?」
「そうですね。四百字詰め原稿用紙で、七、八枚というところでどうでしょう」
「分かりました。そんなに長く書いたことはありませんけど、まあ、できるだけ書いてみます」
「ええ、では、よろしくお願いします」