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第1回 第2回 第3回 第4回
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五分の一 (大地の芸術祭) 第十三回

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 妻有ボランテイア組織―こへび隊は1999年12月に結成された。だが、「ボランテイア」という名称が問題になったようだ。ボランテイアには「奉仕」といった匂いが強い。参加者たちは単に「奉仕」にとどまるだけでなく、ボランテイアを大地の芸術祭にかかわりながら、自らの人間としてのステップアップの糧にしたいと望んでいたようである。蛇は脱皮しては成長していくから、自分たちもそのようでありたいというわけで、「こへび隊」という名称が選ばれたのだという。
  2000年7月には、こへび隊に参加する人は600人を超えている。十代、二十代を中心に、中には七十代の人もいる。美術、建築関係の学生が多いが、フリーターと言われる人たちや、稀には会社員もいる。
  彼らの仕事は、大地の芸術祭開催までの裏方として、作品製作、広報、イベントの企画運営、通訳その他に関わり、さらに芸術祭開催期間中も、横山さんのようにバスのガイドをしたり、あるいは各種のイベントにかかわったりして、300人からの人たちが活躍している。
  横山さんは十日町のことを実によく知っている。彼女たちはいくつかの合宿所に分かれていて、自炊しているのだとのこと。名ヶ山集落の廃校なども合宿所の一例らしい。彼女たちは夜になるとグループに分かれて、お互いの昼間の体験を報告しあって論議するから、いきおい、地域の情報が豊富に耳に入ってくるのだという。
  大地の芸術祭におけるこへび隊の活躍―それはこへび隊の人たちが自ら主張するように単なる奉仕というものではなく、アーチストや建築家などの専門家と対等な立場で、自主的な意思の下に参加し、自らの人間としてのステップアップを図ろうとする彼らの存在の大きさによってこそ、この壮大な芸術祭は、無事に最後の幕引きまで行くものと考えられた。



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五分の一 (大地の芸術祭) 第十四回

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 こへび隊に対して、「おおへび隊」と称される人々もいるという。こちらは大地の芸術祭について、主として物的に支援してくれる人たちのようである。
2004年10月23日の夕方、十日町市の隣の小千谷市を震源地とする震度6強の大地震が起こった。死者65名、負傷者4805名、全半壊の家屋約16000棟、被害総額3兆円という大災害である。もちろん、十日町にも大きな被害が及んだ。家屋だけでなく、神社の鳥居やお墓の墓石などもバッタバッタと倒壊していた。
  この地震のとき、100人ほどのこへび隊の人たちが松代の農舞台に来ていた。2003年に終了した二回目の芸術祭の後始末をし、2年後の第三回目の準備をするためであった。彼らは何か手伝うことがないかと、近所の家々へ御用聞きよろしく顔を出し、また、都会からさらにこへび隊員がやってきて、即戦力として何かと地元の人々の役に立つように頑張ってくれたという。
  地元の人々が復興作業に忙殺される間、幼い子供たちを預かって保護する体制も作り、そこから地元の人たちとの都会の若者たちの交流する気運が大きく盛り上がってきたといわれる。ただ、若者たちは週末には自らアルバイトのために忙しかったので、「おおへび隊」といわれる人たち、中でも熟年女性たちが活躍してくれたといわれている。
  おおへび隊の一人は次のように言っている。
「大地の芸術祭は、アート作品の発表・展示をすることが目的ではない。地域の人たちが芸術の力を利用して地域づくりをすることが目的なのだ」と。
  確かに、大地の芸術祭を始めることとなった切っ掛けが、「ニュー新潟里創プラン」にあることを考えれば、その初心を忘れて、ただ、都会にあるような芸術をそっくりそのまま、田舎に持ってきて展示すればそれでよし、というわけにはいかないことは簡単に分かる。ここでは芸術が地域に根ざして、人々の生活に違和感なく溶け込んでいけるようなものがほしい。前述した「棚田」「光の館」などの作品は、地域の人々の生活に溶け込んでいるという点では良い例かと思う。そのようなものの準備をするためにも、こへび隊やおおへび隊の隊員たちが自分たちの活躍を通して、地域の人々と融合・交流していくのは大きな意義があろう。



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五分の一 (大地の芸術祭) 第十五回

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 川西昼食場所までほぼ30分、バスは来た道を帰っていき、やがて信濃川に掛けられた栄橋を渡っていった。
  昼食を済ませると、午後からは雨も完全に上がった。昼食後には、まず、ナカゴグリーンパークへバスは向かった。そこには「光の館」がある。今回は館の中へ入って、実際に二階の部屋で仰向けになって、建物の天井から見える雲一杯のどんよりとした空へ目をやった。
「これが快晴のときででもあったら、うんと気分がよかったでしょうがね」
「ああ、こんなどんより空では、いつ冷たいものが落ちてくるかといった感じだもんね」
  ナカゴグリーンパークには、第一回目からの作品「レーチェル・カーソンに捧ぐ〜四つの小さな物語」というのが、芝生上に点在していた。薪を背にして本を読んでいる二宮金次郎まがいの「うさぎ」やそのほか、「神殿」「鳥男」「ロバ」 ―これらは地上の人間が四十年からの長期間、何も学ばなかったことを警告しているのだという。
  過疎化、高齢化などの理由もあるが、かの中越地震と豪雪によって、この地域の特に山間地には、空家や廃校が結構目立つようになってきている。そこで、今回芸術祭の企画にあっては、これ以上廃屋や廃校を出さないために、空家プロジェクトといわれるもの―積極的に空家を芸術祭の展示場などに利用することによって、廃屋の実態を見学者たちに知ってもらうようにしたらしい。人々にコトの実際を知ってもらうのが復興の第一歩というわけである。最初に見てきた「うぶすな家」も空家プロジェクトの例である。今回の芸術祭にあって、空家と芸術を結びつけたものは、地域全体で63箇所あったといわれ、そのうち、建築家が手を加えたものは44箇所に及ぶと聞く。



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五分の一 (大地の芸術祭) 第十六回

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 小白倉という集落には生け花展があるという。三軒の家を会場にして、一週間交代で、「現代生け花」を展示していると聞く。
 小白倉に入ると間もなく、沿路に割竹による竹細工であろう。幼児なら優にその中に閉じ込められるくらいの大きさの、まだ製作途上かとさえ思われるような、荒い編み方の丸い鶏かごらしいものが二個並んでいた。これも「現代生け花」なのであろうかと話し合ったりする。
 展示されている民家に入ってみた。八畳ほどの部屋一杯に展開されている。生け花の先端は天井に届くほど実に大きな「生け花」である。幼児の腕のような太さの蔓様の素材が縦横に延びて、蛇が動いている様子を思わせる。葉も広く長い。これまで「生け花」としてイメージしてきた、全体的に整って見える「美しい」草木の枝、葉、花などを切り取って、花瓶などの花器に生けて飾りとしたものとはまるで異なる感じである。
「おいおい、これが生け花かい?」
「わかりませんなあ」
 私たちは首をひねっているだけだった。
 川西の小白倉から松代の莇平(あざみひら)へバスは回った。
 ここには廃校になった莇平小学校を利用して、日比野とう人が「明後日新聞」というものを主宰発行しているという。これは前回の芸術祭のときからあったとのこと。校舎内の展示品よりも、校舎をぐるりと取り巻いて、それぞれの綱に絡まりながら二階のほうまで延びてたくさんの花をつけている朝顔のつるが圧巻である。百八十本からあるという。
朝顔に囲まれた廃校の校舎、それに校舎に作られた大きなドームも朝顔にすっぽり覆われている感じで、朝顔の群れ、群れ、群れにすっかり圧倒され、吸い込まれるような思いであった。誰もが朝顔の見事さをたたえていた。