Creator’s World WEB連載
Creator’s World WEB連載 Creator’s World WEB連載
書籍画像
→作者のページへ
→書籍を購入する
Creator’s World WEB連載
第1回 第2回 第3回 第4回
LINE

五分の一 (大地の芸術祭) 第九回

LINE

 昼食時には松代町総合センターの三階広間で、弁当とお茶が配布された。食後の休憩時、近くにいた女性が「池田さんではないですか?」と話しかけてきた。「そうですけど…」といって彼女の相手をしたところ、彼女は自己紹介をして、私を見覚えていた理由を話した。その話によると、彼女は私とは同じ中学の出身で、しかも同学年だとのこと。ただ、私が本校で学んだのに対して、彼女は分校にいたのだという。私が生徒会活動をしていたので見覚えていたとのことだった。多くの未知の人々の中にあっても、どこかでお互いに何らかのつながりのある人がいるものだなあという思いがして、こんなところにも団体行動に参加する楽しみがあると感じたのだった。
 ほくほく線松代駅の前でバスを降りて、松代雪国農耕文化センターであるとされる、「農舞台」の方へ足を進めた。駅とセンターを結んでいる150メートルといわれる回廊の壁には、松代町の全世帯―約1470世帯―の屋号が書かれた赤、黄、緑、青、などのいろいろの色の壁版(縦1メートル、幅10センチくらい)が取り付けられて、びっしりと並んでいた。その場所を通ると、天井に用意されたスピーカーから、「よっていがねえかの」「よくござっしたの」といった、歓迎の方言が聞こえてくるのだった。はじめのうちは、それらの言葉の意味がはっきりしないで、どこかから変な声が聞こえてくるなと思っていたが、やがて声になれてその意味が分かるようになると、方言のおかしさに顔が崩れてきたことを覚えている。「農舞台」は松代地区の約60ヘクタールという広大な敷地の一部に建てられたセンターで、その内外、周辺などにも30からのアート作品の展示がなされている。屋上からは作品「棚田」も見えていた。内部では地区で取られた山菜を利用した食堂もあり、買い物もすることができ、イベントの企画もあったりして、結構魅力あふれるところになっていた。まさにこの地区の人々の芸術活動のよりどころという感じである。



第1回 第2回 第3回 第4回
LINE

五分の一 (大地の芸術祭) 第十回

LINE

 2000年の第一回大地の芸術祭のときには、芸術と山里がいかように結びつくものかと、戸惑っていたと思われる人々も、せっかくお客さんたちが大勢やってきてくれるんだからというわけで、訪問者受け入れの拠点を求める気運が高まり、次第に集落的にも公に人々を受け入れようと言うことになったものと思われる。第一回目の時には、テントを張って、地物の食べ物やお茶を訪問者たちに提供していたといわれるが、それが大変好評だったことから、やがて拠点となる建物がほしいという声が大きくなり、ついに「農舞台」と言う立派なものとなって結晶したものと見られる。
 その後、バスは松代城跡公園を一周した。いくつか作品が展示されていたが、一つだけはっきりと覚えているのは、本物の雪だるまの入った冷蔵庫が沿路に見えていたことである。まだまだ残暑厳しいこの時節である。無理して作ったもんだ―このように感じた。
 「光の館」はナカゴグリーンパークの中にあった。そこは川西地区にある広大な、なだらかな起伏をなしている公園である。かつてはゴルフ場やキャンプ場などにされていたところと聞く。
 「光の館」は、光をテーマとする。屋根はスライド式になっていて、外光を取り込むことができるような方式である。見上げる天井の窓から天空の光の様子を眺められるだけでなく、間接照明や光ファイバーで幻想的な空間を作り上げるといわれる。ここでは宿泊も可能であるし、いろいろな会合もなされるとのことだった。
 最後に見たのはホワイトプロジェクトといわれる作品だった。広いナカゴグリーンパークに白糸で縫い合わされた20センチ角ほどの白い布がたくさん集められ、それらを何十本もの張り渡された綱に、一定間隔に取り付けて大自然の中空に展示したものである。このホワイトプロジェクトは2002年に広島平和記念公園での展示から始められたという。20世紀のすべての戦争の犠牲者の霊を慰め、同時にこれからの平和を祈念するために、多くの人々の参加を求めて実施されるのだという。今回集められた白布は8000枚とも9000枚とも聞いている。数え切れないほどの多くの真っ白い布が、中空でいっせいに同じ方向へ風になびいてはためく様子は、その規模が大きかったから一層、人々の心を揺さぶるに十分だったようである。彼らは賛嘆の言葉を連発していた。



第1回 第2回 第3回 第4回
LINE

五分の一 (大地の芸術祭) 第十一回

LINE

 「義兄さん、ホラ、ガラスでできてるんですって、あの家」
義弟の声にハッと夢から覚めるかのようにわれに返った。なるほど、沿路には彼の指差す向こうに、せいぜい物置小屋程度の大きさの、しかも果たして実用に耐えられるものかどうかと思われる―そんな弱弱しい感じの建物らしくない建物があった。
 まだ作品の製作中なのか、何人かの人たちが家屋らしいものを作ろうとして、立ち働いているところを通り過ぎて、やがて願入(がんにゅう)集落の「うぶすなの家」へ到着した。バスは四十分近く走ってきていた。下条地区の随分山地で、四軒しかないとか聞いていた。
 「うぶすなの家」は、大正13年に建築されたという茅葺の民家だった。かつての農家を思い起こさせるようである。玄関も狭い。どうもただ古臭い民家であるだけのようで、こんなところに「芸術」という言葉が当てはまる何かが見られるのか、ちょっと疑問だった。
 玄関の上がり框が40センチからもあろうという高さで、通常の二倍は優にある。靴を脱いだり履いたりするだけでも一仕事という感じだった。
 一階にはレストランがあって、郷土料理などを提供しており、狭い階段を上って二階へ上がると、天井の低い部屋には陶器が所狭しと並べられていた。人々の評によるとすばらしい芸術作品だったようであるが、その道に疎い私には、よく分からないままに家を出てきてしまった。どうも、ただゴチャゴチャ並んでいただけという印象が強い。
 ここでは空家だったが、民家再生の立派な技術を持つ建築家の指揮によって、元の構造は変えないまま、一階のレストラン、二階の茶室、展示室などを造ったのだと聞いている。
 この下条の隣・中条地区では、縄文式土器の発掘がなされている。もともと土器とは縁の深い地域なのではなかろうかとも考えられる。今回は「妻有焼」なるものを興そうとして、東京の奥多摩から移住してきた陶芸家を始めとして、全国方々からやってきた八人の作品が展示されたのだという。



第1回 第2回 第3回 第4回
LINE

五分の一 (大地の芸術祭) 第十二回

LINE

 「皆さん、この近くに女性芸術家である高戸という人の作品がありますので、そこまで歩きましょう」
 「うぶすなの家」を出ると、近くの駐車場に止まっているバスのほうを見向きもしないで、横山さんは先頭に立って歩き出した。田んぼと山際の畦の間にわたり板が敷かれていたので、その上を、ゆっくりと足元に注意して七、八分進むと、森に囲まれた案外大きな池が現れた。ここは雪水などを集めておいて、必要なときに棚田のほうへ水を引くための池であるという。池には陶とガラスによって作られたと見られる、「壷の花」がたくさん浮かべられてあった。六、七十センチの高さで、徳利のような形をしている。波の立っていない池の面にただ浮かんでいるだけである。風もない周囲の森林、波もない池、びくとも動かない壷の花―「静」が感じられるだけであった。壷がどうして沈んでしまわないのかといったところまで考えは及ばなかった。
 「まあ、作品はよかったと思うけどさ、こんなところまで歩かせられるなんて、予定外なんだから、ちょっと我々がかわいそうなんじゃない? ねえ、横山さん」
 「何言いなさいます。今日なんてポツリポツリってとこだから、暑からず寒からずでちょうどいいのよ。昨日なんて、太陽ギラギラだったから、みんな汗びっしょりだったんですよ」
 「昨日のことは昨日のことさの。ところでさ、こへびたいのことだけど・・・」
 「それは少しずつお話しますわ。もう、バスのとこへ来ちゃったんですもの。だけど、ああ、そうだわ。昼食までちょっと三十分くらいあるから、バスの中でこへび隊のことを大体話せますわね。そうしますから」
バスに乗ってからは、川西地区へ回って昼食ということで、その移動の時間を利用して、横山さんは私の知りたいところに一通り触れてくれたのだった。