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第1回 第2回 第3回 第4回
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中越地震と一枚の絵手紙 第13回

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 この大地震については、後で新聞によってこの地域が、「地震空白域」だったことを知った。つまり、地球の表層を覆う板状の岩盤がぶつかりあう際に、地震につながるひずみたまっていながら、大きな地震がまだ起きていない地域――「ギャロップD」といわれる空白域だったのであるという。他にもいくつかあるのであろうが、そのギャロップDの一つが、新潟市付近から長野県北部にかけてであったとのこと。近い将来、この地域には大きな地震が発生する可能性があると指摘する専門家も多かったといわれる。
 しばらくバスを降りていたと思っていた節子さんが集落を一巡してきたと言う。
「お墓の石が滅茶苦茶に倒れたりしているて。だけど、お前さんとこのお墓は大丈夫だったよ。やっぱり、洋式の平らな墓にしておいたんで助かったんだね。Aさんの蔵は壁がみんな崩れてしまって、反対側が見透かせるほどだったし、Bさんとこの玄関の戸は斜めになっていたし、とにかくひどいて。弁天様の鳥居も倒れちゃったし・・・・・・」
 やはり相当大きな被害が考えられた。墓石のような一見半永久的とも思われる頑丈なものが、バタバタ倒れたということからすると、何軒かの家屋にも被害が及んだのではないかと思った。だが、後で知ったところによると、コンクリートの鳥居は倒れても、隣り集落の木造鳥居は倒れないままだったといわれる。石やコンクリートを素材とする建造物よりは、木材を素材とするものの方が、揺れに対して弾力性があって、倒れるか否かというような事態において強いのではないかと考えられた。



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中越地震と一枚の絵手紙 第14回

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 節子さんは大恋愛の末に嫁してきた旦那さんを、二年ほど前に肺がんで亡くしている。以後、義母さんと自分の息子・倉治君との三人で暮らしている。二ヶ月ばかり前には家屋を新築して、倉治君に嫁さんを迎える体制を整えたばかりである。したがって、彼女としては自家に対する地震の影響など、ごく小さいものと考えていたに違いない。
 萩原さんと明さんにしても、我が家ともども三年ほど前の国道への歩道とりつけ工事に引っかかって、移築したり補強したりしたわけなので、家屋自体の心配はない。清吾の家だけが建築後二十年近く経っていると言うが、外見は何らの損傷もない。
 明け方近くになってきたら、腿の後ろがいくらか痛くなってきた。何時間も同じ姿勢でいたからであろうか。エコノミークラス症候群とか称するものではないかと考えられた。後で聞いたところ、今回の地震ではエコノミークラス症候群のために亡くなった人もいたのであるという。今晩からはぜひとも自宅の布団にのびのびと寝たいものと思った。
 ついにまんじりともしないまま、ミニバスの中で一夜を明かしてしまった。ただ、私たちは十人という多人数で、頻繁に襲う余震の揺れと恐怖の中で、世間話などをしながら過ごすことができたのは、心の衛生上大変よかったと思っている。
 二十四日の朝にはみんなが帰っていった。



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中越地震と一枚の絵手紙 第15回

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 我が家は見る限りでは、家屋の壁などにわずかな亀裂らしいものもない。大丈夫のようだ。家屋さえしっかりしていてくれれば、その他の被害などさしたることもない。二階ではテレビが台から落ちてひっくり返っているし、本箱が一個転倒して、書物が散らばっている。その他にはコップや花びんが数個壊れてガラスかけらなどが危ない感じである。仏壇やタンス、棚、冷蔵庫などのどっしりしたものは、まるで何も起らなかったかのように少しも動いたりしていない。一階では前述のように石油タンクが一基、壁に倒れかかっている。その他に本箱が台から落ちてガラスドアが滅茶苦茶に割れている。書物も無論散らばっていた。
 一階の本箱も二階の本箱も、テレビも石油タンクも、これら被害にあったものについてみると、いずれも南北向きの壁に面していたものばかりである。そこからみるに、地面の揺れは南北方向に大きかったのではないかと推測される。
 物的被害はこんなところで比較的軽かったけれども、断水と停電が痛い。家庭で使う程度の分量の水だったら十分ある。信濃川だってすぐ近くを流れていることだ、心配ない――そのように考えていたが、いざ、現実に「断水!」という事実を突きつけられてみると、
さあ、困ってしまった。何らの思案も浮かんでこない。我が家には井戸もない。三年ほど前に市道拡張工事がなされたが、そのときに旧い家は工事の邪魔になるということでとり壊された。その旧い家の後ろに井戸はあったが、井戸の方まで引っこんで新築したこととて、井戸は現在の家の下になってしまったわけである。



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中越地震と一枚の絵手紙 第16回

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 給水車は来てくれるであろうが、腰痛をかかえている自分としては、給水車が停車してくれると予想される場所まで行って水をもらってくる作業はきつすぎる。せいぜい考えられるのは、自転車の荷台に容器を乗せて歩いて往復することくらいだ。手元には、昨夜の断水直後、水道から辛くもとっておいたペットボトル一本の水があるだけである。
 家に帰ってしばらくすると、千葉県の船橋市に住む弟から電話があった。
「兄貴、大丈夫か?」
「うん、おれは大丈夫だけど、家の方が……そうだ、助けてくれーっ!」
 家や墓石、その他多くの工作物の倒壊、半壊、山崩れ、道の不通、段差の発生――いろいろ大きな被害が伝えられていたし、さらには人身事故まで耳にしていた。それらに較べたなら我が家などは、何らの被害もなかったに等しい。にもかかわらず、私の突然の「助けてくれーっ!」という叫び声だった。なぜそんな叫び声を発したのか、その理由は私自身にもわからない。ただ、家屋内の小物類があちこちに転倒したりしているのを見て、どうしたらよいものらやらと思っていたときである。誰にでもよい。すがりつきたい思いが、つい、声になって出てしまったものかと思う。
「助けてくれぇってか?」
「うん、お前もこういう現場を見ておくこったて」
「そうか。で、何か要る物はないんか?」
「うん、水だ。何てっても水だよ」
「よしっ、わかった」
 飲料水の方は弟の言葉を期待してもよいと感じた。私たちは母なき後、兄弟姉妹五人とその配偶者たちで兄弟会を作って、年に一回は二泊三日ほどの日程で旅に出かける。これまで松島平泉方面、輪島方面、中国・山陰方面、陸奥方面などへ足を向けてきた。お互い遠慮のいらない間柄であるし、費用の点で困る年代でもないから、思いきりわがままを楽しんでいる。そんな付き合いが続いているので、「期待してもよい」と思ったわけである。