Creator’s World WEB連載
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生き甲斐 第13回

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「ええ、そのことは考えないわけではないんです。この町内へ移ってきてまだ三ヶ月ばかりしか経っていませんし、家の中の仕事はみんな嫁がやってくれますし…今のところ、特にやらなくてはならないようなことはないんです」
「そういう状況なら、これは一層強く誘う必要性を感じますね。まあ、今年度は三月いっぱいということで、もうすぐ閉級ですから、来年度、四月からということになりますけど」
柏木の言う「趣味が大きな生き甲斐となって、これからの人生を支えてくれる」―それは、特にこれといって果たさねばならないこともなくて、いつの間にか一日が暮れていってしまって後に何も残っていない、そのような文子自身の現状を考えると強く心に響くものがあった。
「そうですか。では、考えて見ますからハガキでもくださいませんか」
「分かりました。ところで、ふみこというのはどのように書くんです?」
「文学の文です」
「かなではないんですね」
「ほんとはひらがななんですけど、あんまり子供っぽいんで、自分で勝手に変えているんです。今では漢字で通っていますので」
「なるほど、分かりました。それではハガキ書くことにしますので、ひとつ、よろしくお願いします」
健一は受話器を置くと、すぐにハガキを取り出した。ハガキで勧めても相手が応じてくれないなら、そこまでといった気持ちだった。



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生き甲斐 第14回

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この平地に引っ越してきたおかげで、文子の一家は今では水道・下水道付の家に起居し、智雄は念願どおり一年を通して自宅から会社へ出かけていくことができるようになった。武夫も自宅から登校している。節子は本校へ通うようになって、好きな部活動・バレーに汗を流している。房江も冬の雪掘りと道踏みから開放されて大喜びである。
文子は夫の雄一郎に先立たれ、孫たちも自分の手を必要としない年齢になってしまい、今では特別にしなければならないようなこともなかった。ただ自分のことは自分で―という日々だった。山にいたころには、近所の婆さんたちとお茶を飲みながら世間話に時をつぶしたり、山菜採りに懸命なることもできた。だが、ここ平地へ出てきてからは、人々はみんな忙しく立ち働いているようで、呑気にお茶を楽しむ相手もまだ見つかっていない。文子は自分ひとり、どのように時間を用いてよいのか分からないで、なにやら焦りのようなものを覚えることもあった。以前の朗らかな文子はここには見られなかった。ともすると、塞いで渋い顔をしていた。昼間彼女の相手はテレビだけといってよかった。
三日ほどして健一のハガキが文子の元に届けられた。
「拝啓、初めてお手紙差し上げます。
電話で話しましたように、中央公民館の生涯学習教室の中にある俳句コースに、この四月からご参加いただけますよう、お誘いしたいと思います。
今年度、俳句コースでは男女各八名在籍。八十歳以上の方が八名います。句会は第二・第四の火曜です。私たちの作品は「明石句会」の名称で、時折地元の新聞に掲載されることがあります。
三月末までにはコース生の募集がなされます。その際にはぜひとも前向きにお考えくださいますよう 敬具」



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生き甲斐 第15回

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文子は柏木健一のハガキを読んでみて、自分より年長の八十歳からの人が八人もいるというのにはびっくりだった。句会は月に二回ばかりだから、やや遠方とはいえ、バスを利用すればそれでよい。それに俳句が嫌いになってやめていたわけでもない。十七文字ばかりのごく短い詩形の中に、自分の思いを込めて表現できるのはすばらしいことでもある。それにこのような趣味の世界に浸ることから得られるものとしては、それによる楽しい時間をすごすことができるだけでなく、同年代の人々との同好の士としての交わりの喜びということも考えられる。さらに俳句を詠むことによって、自分の物事に対する見方というものも、今より一層細やかに深くなっていくかもしれない。そこには自分の世界の広がりがあるに違いない。そのように文子は思った。だが、まだ決断にはいたらなかった。
夜、文子は智雄に話してみた。柏木のハガキを一読した智雄は次のように言った。
「うん、実はさ、俺もここのところ、お袋は何もすることがなくて困ってるんじゃないかと思っていたんだよ。これはひとつ考えてみる価値があるんじゃないかな」
「そう思うかい。じゃあ、反対じゃないんだね」
「ああ、反対なもんかね。俺も勧めたいよ。一般的にさ、仕事がありすぎるのも困るけど、何もすることがないってのは、もっと困るんだよね。だから、結果はどうなろうとさ、とにかく飛び込んでいって、社会参加するという姿勢が大事なんじゃないかな」
「まずいことになったら?」
「ああ、そのときはそのときで考え直せばいいんだがね。慎重なのはいいけどさ、おらたちには、物事の結果がどうなるかなんてことまではっきり分かるなんてのは、そうあることじゃないがの。そこまで考えていたら何もできないことになってしまいかねないがね」



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生き甲斐 第16回

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智雄の言う「社会参加」という言葉には魅力があった。
「そうか、社会参加か、それはいいね」
「そうだよ。社会参加を積極的にしていくことによって、他の人達と楽しく交わっていくこともできるからね。そうしてこそ、生き生きした毎日を過ごしていくことができるんだて」
「趣味は?」
「ああ、趣味もさ。自分ひとりだけで満足しているんではなくて、そのハガキに書かれているような会に参加したりすることが、すなわちひとつの社会参加だよ。そこでは自分の勉強にもなるし、他の人達との話し合いも楽しむことができるし、友達も多くなっていくだろうからね。言うことはないよ」
「分かった。おら、この柏木さんの誘いに乗ってみるて」
文子にはなにやら充実したこれからの毎日が待っているような感じがしてきていた。とはいうものの、まだ躊躇する心がくすぶっていた。
「だけど、おら、一人じゃなあ、ちょっと遠いし…」
「そうか、まだためらう気持ちがあるんだね」
「ああ、やっぱり、いきなり知らない人ばかりのところへ出ていくってのは…」
「そうだね、じゃあ誰か一緒に行ってくれるような人はいないんかね」
「知ってる人はいるけどさ。親しく付き合ってもらってる人はね、まだ…」
「そうか、だけど、その知ってる人に思い切ってぶつかってみなよ」
「その人を俳句に誘えってか?」
「ああ、ダメでもともとだがね」