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和城伊勢LINE

第1回

読書の秋、皆々様にはご壮健にてお過ごしのことと存じます。
さて、しぐさ特集・前半はいかがでしたでしょうか?
「江戸しぐさ講・浦島太郎からのおくりもの」戦後・アメリカの女性(ベネジェクト)からの
贈り物と比較しましていかがでしょうか?
 日本にも、こよなく日本を愛し将来を思い見据えて努力なされた思想家・哲学者もいらっしゃることを
ご理解いただけましたでしょうか?

では、江戸しぐさ講・第2章の後半を続けることにいたしましょう!

江戸の良さを見なおす会
代表 和城伊勢

講座 「江戸しぐさ」第2章後半

 2分の1

 江戸の人たちは、男と女は 前世でも いっしょに暮らしていて、この世でも いっしょ。
そして あの世でも また いっしょ、というより もともと男と女は表裏一体と考えていたそうですね。
だから心中なんかも することがあったのね。早く あの世に行って暮らそうというわけなのね。
 心中は どうかと思うけど、男女がコンビで一人の人体という考えかたは 見直しても良いのではなかろうかと!
芝先生はおっしゃるのよ。
 過去・現在・未来 とずっとコンビで一人の人間だからシグサも同じっていうわけね。
 たまたま 生まれてくるときだけ、それぞれ だれかの(お母さんの おなかを借りてべつべつに この世に出てくるって
いうわけね。
「だって男女で出たんじゃ、恥かしいじゃねぇか 第一 大きすぎて出ぬくいし」
昔は よく そう言って人を笑わせる おじさんがいたそうです。



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第2回

にたものふうふ

 犬はよく飼い主に似る。とか 似た者夫婦とか聞きますね。
私なども その似たもの同士の夫婦なのですけど、芝先生のお話では それが あたりまえ。
 江戸っ子的発想では、犬が飼い主に似てくるんじゃなくて、前世でも その犬といっしょだったんですって。
たまたま 迷い子?(犬)になってしまったのがなにかのはずみで見つかっただけなんだそうよ。
 彼氏や彼女も おんなじこと。飛行機に乗るときにそれぞれ べつのゲートから乗るようなもの。
 江戸の寺子屋では おふろ屋さん(江戸では せんとうといったそうですが)の例を話したそうです。
男湯と女湯と入口でわかれても 帰りには また一人の男女体にもどる。
 だから、自分の半分が どこの出口から飛び出してくるか 興味しんしんなんですって。
アメリカから出てくるか、岩手県から生まれてくるか(千さんのことみたいね)なるほど、そう考えると
日本人も大きく変わるでしょうね。芝先生の目には いまのほうが江戸のころより はるかに古くさくて時代おくれに
うつるようです。
「そういう目で江戸しぐさを見てほしい」とおっしゃっています。
だから肩引きの手は「右手を引くのか?左手なのか?」とか「手を後に引くのか?前に出すのか?」なんて質問するのは
やぼな話なんですって。
昔の人は そういうとき「前世でどっちの手を引いてましたい?前世でしていた通りでござんしょ」と答えたそうです。
 つまり しぐさは型や作法(さくほうではなく サホウと読むようよ。A女子大2年のKお嬢さん)ではないので そんなことより
そんなことより他人のじゃまにならないように歩こうというクセが とっさに出れば江戸っ子というわけね。気軽に考えていいのね。
 型にはまらないのが江戸しぐさなんですって。
それはそうね。だって 人間も犬も猫も、みんな個人や個体の差があるんですもの。
だかおもしろいのよね。



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第3回

それでもシグサ

しぐさには個体や個人差がある。たしかにそうね。でも 人間は人間。犬は犬。猫は猫。
それぞれ違うしぐさで生きていますね。
 ふしぎなことに ときどき まちがうのね。立派なかっこうのおじさんが 電柱柱と にらめっこしてたのよ。
「ああ 選挙のポスターを見てるのか」と思ったら すぐに動かないの。
 目を下にパンしたら 片足をあげて王さんのまねこそしてなかったけど、液体が流出しているのよ。
 ワンちゃん(王さん、ごめんあそばせ。王さんの中国読みではございません。ドッグちゃんです。この場合は)
がそのとき通りかかったら「おい、人ちゃんよ。おれのテリトリーおかすなよ。そこは わが輩の犬益?であるぞよ」
と、軽犬犯罪法のお説教を始めたかもしれないわね。
 江戸ではね。こんなふうに 人を笑わせながら 犬のしぐさをまねることは 犬の領分をおかすことにもなるうえに
人間の道にも はずれていると、 といたそうです。


そこで いよいよ 人間のしぐさ

人には人のシグサがある。同じ人でも男と女ではシグサも違う。同じ男でも、年齢によって違う。
子どもと大人ではちがう。
小さい子が、電車の中で歌ったり はしゃいだりしている。これを もし 大人がしたら 「少し おかしい」
と思われる。少しどころか そうとうに おかしい。
そういうわけで、江戸っ子たちは 年齢や職業でシグサをわけたんだそうです。
といっても、例えば「キミは いくつだから こういうシグサをしなさい」とか「おまえは こんな仕事だから 
こういうシグサをしたまえ」とか言うのではなかったそうです。
 若者が走ったら老人より早いにきまっていますね。ふつうは。つまり、若者の走るシグサと老人の走りかたとでは
エネルギーの使いかたも違えば 息の仕方も違うはず。どちらも 一番エネルギーの消費が少なくて 最大の走行効果をあげるように、
しかも美しく見えるようなシグサを江戸しぐさというようです。
 人間というものは、だれでも、一生懸命あるものに打ちこめば 自然に能率よく楽に早く ものごとができるようにシグサも そろってくるものだそうで
昔の人は 他人をじっとながめて それぞれに適したシグサの最大公約数のようなものを発見したようね。
 例えば 同じ大工さんや学者さんでも まだ 個人差が出てくる。だから おもしろいし、そういうひとたちに ほれる女性も シグサによって前世からの「生活」で
自然に お互いのあいぼうがきまってしまう。これを「ごえん」というようです。
 そこで この講座「江戸しぐさ」では第一歩として江戸っ子として(というよりも人間として)しないシグサ、してはならない、するのはおかしい!といわれていた
シグサを ごひろうしてみましょう!

お嬢さんのしないシグサ
1 自分のほっぺをたたかない。
2 したを出さない。
3 目やにを指でとらない。
4 口の端を指でぬぐわない。
5 かみの毛を引っぱらない。
6 引っぱった髪の毛をなめない。
7 耳を指でほじらない。
8 くちびるの皮を指でとらない。
9 鼻に手を持っていかない。
10 鼻をいじらない。
11 首のまわりをさわらない。
12 笑うときに口に手をあてない。
13 かわいい(子どもっぽい)かっこうをしない。
14 服のゴミを手ではたき落とさない。
15 あせを手でふかない。
16 もの(コーヒーなど)を飲むまえに 必ず口をすすぐ。
17 渡し船(いまは電車など)の中で もの(チューインガム)などを口にいれない。
18 乗物(バスなど)の中で化粧をしない。
19 人の体をたたかない。
20 もの(ケーキなど)を口に入れながら しゃべらない。



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第4回

江戸の人は偉いもの

1〜20までは 江戸の小町には 絶対に許されないしぐさだったそうですが、これには
お聞きしてみると、みんな明確な理由があるのね。
 例えば、9〜10の鼻をいじる娘を嫁にすると「一族みんなカゼを引く」といって一番いやがられたそうです。
これは現代的に解釈すると、食事をとりしきっている奥さんが もしカゼをひいてしまったときなど、鼻をいじるクセの
ある人だと ウィルスが食べ物やコップなどにベタベタくっついて、それを食べたり飲んだり 口に触れた家族が みんなうつってしまうことでしょう。
 芝先生が20年ほどまえに調査されたところではそれは現在でも通用するそうです。
家族が一人カゼをひき、子どもがつぎつぎ寝こんでしまったという若い奥さんには ふだん見ているとみんな鼻をいじるクセ(しぐさ)があるそうです。


電車の中で見かけるしぐさ

電車・バスそのほか乗り物のなかで見かけるシグサには 江戸しぐさもあれば おかしなのもありますが、
このごろは おかしいほうが多くなりました。
 そういって先生は こぼされます。

1 におうだち
押されても がんとして動かない。わざと押すのでなければ、ひとの流れにムリに逆らわず多少 前後左右に動く。

2 またひらき
股開。これは別に ひわいな意味もあるようですが、この場合には「渡し船に股開をして」というセリフのように股を開いて座るシグサ。理由は
ちゃんとあるようですが、これは一つ考えてみてくださいね。

3 ひとりじめ
独占。混み合ってきたら なんとか くめんしたいものですね。でも「子どもだから立っておきなさい!」というのは子どもの領分を侵すことだそうです。
それよりも一たんは座らせておき 老人や病人が目のまえに現れたら「どうぞ ここに」と言って席を譲るシグサを身につけさせるほうがスマートですね。

4 わがものがお
我物顔。この場合は端唄や歌沢の「わがもの」ではなくて「わがもの顔」に座席を占領している人のシグサ。

5 たちはだかり
立開。たちはだかると読むそうです。

6 うでくみ
腕組。乗りもののなかでの腕組は二つの理由でいけないそうです。1、腕を組んでは電車の急停止など危険に対処できにくい。2、両隣のじゃまになる。

7 せっぱつまり
切羽詰。これには実にさまざまなシグサがあるようですが、ここでは「駆け込み乗車」のことです。江戸でカケコミというと別の意味になるそうで、現在の「かけこみ乗車は危険ですから
おやめください」の「かけこみ」は切羽詰りにあたるそうです。
現在では かけこみは危険という第一理由でしないのが望ましいのですが、江戸では自己敗退を意味するので縁起の悪いシグサといわれていたそうです。
 いまでも中年の人が かけこんでるのは みじめったらしいですよね。

8 むりおし
無理押。武家社会でいう「むりおし」とは意味は違い この場合は 前を歩いている人の背中を手のひらや指で押すことのようです。これはたいへん失礼なこととされていたそうです。
改札口でみかけますね。階段などでは とても危険ですわね。

9 田舎の入り・江戸の出
 おもしろいことに200年たっても この諺は通用するようです。いまふうに言えば、田舎の人は電車に乗るときに急ぎ、江戸の人は乗り物から降りたときに急ぐということのようです。
芝先生のお話によると、電車にのるときに あわてて走り出すのは いわゆる田舎しぐさの人で、そういう人は電車が目的の駅について ドアが開くと、乗るときとは逆に こんどは のんびり
と歩きだすそうです。
 江戸しぐさの人は反対で、乗るときは ゆうゆうと乗り、駅に着くと急ぎ足で出て行くそうです。
 これだけ見るだけで、99%まで判断できるそうで、スリは こういうシグサで「ぽっと出」とか「おのぼりさん」と見わけるようだということです。もしもスリ大学なんてものがあるとしたら、こんなことを教えているのかしら?
そういうこともあって芝先生は本にするのが いやなんですって。悪用されると困るから。

10 こしうかし
腰浮。いまは「ちょっと座らせてください」というと シブシブ座らせてもらえます。
それでも「しらん顔のはんぺいさん」も大勢いらっしゃいますわね。
 江戸しぐさでは ドアが開いて人が乗ってきたら 「さ、ここにおかけなさい!」といわんばかりに ちょっと腰を浮かせて 相手を招待するしぐさをそういうよです。
 私が女性ですから言うわけではありませんが、昔の東京には江戸しぐさのイキなダンナが生きていて 顔色のさえない(生理の日や病みあがりなどにムリをして出かける)女性を見つけると
年齢が逆なのに席を譲る老人もいらっしゃったそうです。
 そりゃ、若者だってOLだって元気のないひともいますものね。いちがいに「若い者は立ってろ」というのは 野暮天のすることだそうよ。