いま なぜ 江戸なのか?
マクロには平和。ミクロには しぐさ。どちらも根本は江戸。
明治以後は、のべつ 幕なし の戦争。昭和の後半は、そのあと始末。
人々は、平和の「しぐさ」を忘れてしまったようです。
私の目に うつる 今の平和は、とりあえず 戦争が ないだけの平和。
私は、なにも むずかしいことを 言おうとしているのではありません。人は、だれでも
ふるさとは なつかしいものでしょう。私の故郷は たまたま江戸です。だから「江戸」を懐かしく思うと
同時に大事にしたいと考えるだけです。(故浦島太郎原稿より)
さて 現代応用編・講座「江戸しぐさ」、第1章で“しぐさの第一歩”を公開しましたが、
好評でございましたので、第2章を ご披露いたしましょう!
江戸の良さを見なおす会
代表 和城伊勢
講座 「江戸しぐさ」第2章
町歩内畜生しぐさ
かぶき(歌舞伎)の題目みたいですが、これを「まちあるきのうち、ちくしょうしぐさ」
というようです。
「むく白もしねえょ」と言って きつく いましめられたそうです。
「むくシロでさえしない!」ということを知っている人は 東京大空襲で ほとんど亡くなられたそうです。
とにかく、動物と人間は違うから人間は人間のしぐさをしなさいということのようです。
ねこ
猫。あいびょうか には悪いけど、ねこのように「おさかな」をくわえて歩く人を そう呼んだそうです。
お魚とは この場合は食べ物の総称です。そこでパンを食べながら歩いたり、ジュースを飲みながら
歩道を歩いている人たちを「猫やろう」と言って注意したり さげすんだりしたそうです。
愛猫家に言わせると、「とんでもない!うちの猫はちゃんと お皿にもったものでないと食べませんよ」ですって!
してみると、このごろは 人間さまのほうが猫より程度がおちたのね。
うし
猫と同じようなものだけど、食べたものをポロポロ道にこぼしてながら歩く子どものことだそうです。
牛は草などを はんすうしながら よだれをたらして歩くことから こういう言い方が生まれたのでしょうね。
「よだり(涎)ったらしッ」という人もいたようです。江戸の一部では「よだれ」をヨダリと言うところもあったとか。
牛やヒツジは反芻動物だから当然でしょうけど人間が涎を垂らしながら歩くさまはきれじゃないわね。
いぬ
これには いろいろな意味があるようですけど二つほどあげておきましょう。
「電柱、」にと言えば あとは言わなくても判るように道ばたや人家の垣やヘイをトイレと間違ってしまう人のこと。
と、もう一つは おわんに顔をつっこんで食べたり、食べもののパッケージなどをくわえながら歩いている生徒のこと。
今なら そういう人をさしたようです。
|