恩師であるTさんの危篤を知らされていたが、以前から計画していた長野旅行に出かけた。妻の母が一度行ってみたいという善光寺と私がかねてから訪ねてみたかった松代にある池田満寿夫美術館への旅だった。夏の終わりとはいえ残暑が厳しい善光寺の境内は沢山の参拝客で溢れていた。もうもうと立つ線香の煙の中で我々家族のこととTさんのことを祈った。翌日、池田満寿夫美術館に立ち寄った。私はこの版画家が好きだ。1964年に制作された「化粧する女」は私の感性にとって根もとに敷く肥やしのようなものだった。久しぶりの作品との対面に心が躍った。京都に帰る途中、携帯電話にTさんのただならぬ状態が知らされた。名神高速を京都に向かって私はひたすら走った。今更どうにもならないが、ただひたすら走り続けた。この世のものとも思えないような大きな夏の夕陽が京都の方角にゆらゆらと沈んでいこうとしていた。夕陽が私の目の中で二重に見えた。私の車が京都市街に入ったちょうどその頃、大きな命が静かに早過ぎるその生涯を閉じていた。 |
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「ラ・フランス頌」から
「予感、夏の疾走 帰らない人」 |
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