Creator’s World WEB連載
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第1回 第2回 第3回 第4回
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絆〜ほんとうに大切なもの(1)

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 山岡の笑い声につられるように、俊彦もははは、と笑った。そして笑いながら、あらためて山岡に感謝していた。自分は後先を考えずに、依子と話してそこから先は成り行きだ、などと思っていたのが恥ずかしかった。自分の家族だけでなく、依子の夫や、理恵ら友人たちも巻き込んでしまうところだったのだ。俊彦はこの時、本当に心から依子の幸せを願っていた。
 本を読む理恵と向かい合いながら、俊彦は、俺はバカだ、と思った。だが同時に、そんなバカな自分を心配してくれる人間がいることを、ありがたいと思っていた。「ねえ、松平さん。」俊彦は理恵に声をかけた。「なあに、原田君。」理恵は本から目を離さずに答える。「松平さんは、結婚してよかったと思ったことはある?」「ええ?何、いきなりどうしたの?」理恵はびっくりして俊彦の顔を見た。「いや何となく、どうなのかなと思ってさ。」
 あらためて俊彦の顔をじっと見ると、理恵は言った。「そうねえ、最近はそう思うようになったかな。あたしは男性から見たらすごく扱いづらいと思うから、そんなあたしと一緒にいてくれるダンナには感謝してる。原田君はどうなの?」「俺?いや、俺は、結婚してよかったと思ったことはないなあ。なんで結婚したんだろう、って思うばっかりで。」「そうなんだ。でも、この人でよかったって思える瞬間はあるはずよ。普段気づいていないだけなんじゃない?」「そうかもしれないな。何せ俺、家のことも、子供のことも任せっぱなしだから。」
 「あら、それはよくないわね。あなたも家族の一員なんだから、少しは関わったほうがいいわよ。」「家族の一員、そうだよね。なんだか俺以外が家族で俺は家族じゃないみたいな気がしてたよ。」「まあひどい。そんなこと言ったら、奥さん泣いちゃうわよ。」「泣いちゃうか、そりゃまずいな、ははは。」



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絆〜ほんとうに大切なもの(2)

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 理恵と話をしながら、俊彦はこんな風に気軽に女性と話したのはいつ以来だろうかと考えていた。そうだ、ミチルとデートを重ねているときに、すごく話しやすい女性だと思ったんだった。ミチルも俺には何でも話せると言ってくれた。お互い、何でも気軽に話せる夫婦になりたいって、そう思って結婚したんじゃないか――。結婚当初のころの出来事が昨日のことのように、鮮明によみがえってくる。――ミチルが変わったんじゃない、俺が変わったんだ。何でも話せる人と結婚したはずだったのに、俺が何でも聞いてやるって言ったのに、俺は何も話さず、何も聞いていなかったんだ・・・。
 俊彦はいてもたってもいられず、会計を済ませると、急いで上着を抱えてドアのほうへ行った。だが大事なものを忘れている。それを見つけた理恵は、くすっと笑いながら俊彦の忘れ物を手に取ると、「原田君、カバン忘れてるわよ。」と声をかけた。俊彦はあわてて戻ると、理恵からカバンを受け取った。「ごめん、ありがとう。」「どういたしまして。あわてて転ばないようにね。」俊彦は理恵に向かってニコッと笑うと、ドアを開けて出て行った。
 理恵は俊彦の後ろ姿を見送りながら「やれやれ、一件、じゃなかった、二件落着か。」とつぶやくと、大きく伸びをしてマスターに声をかけた。「マスター、あたし今、とっても乾杯したい気分なの。付き合ってくれない?」



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絆〜ほんとうに大切なもの(3)

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 俊彦は家路を急いでいた。ミチルはもう帰っているだろうか。帰る時間を聞かなかったし、自分はミチルと剛一が出かけた後に家を出たので、自分が家にいないことも知らないかもしれない。そう思いながら、メモを残してくるんだった、と後悔していた。仕事から帰るときも、ミチルの顔を見るのがこんなに楽しみだったことはなかった。この信号を渡ったら、すぐに家だ。信号が青に変わるのが待ち遠しかった。
 「ただいま」はずんだ声で、俊彦はドアを開けた。家の中からは物音ひとつしない。誰かが家にいるときでも常に施錠しているので、鍵がかかっているから居ないということにはならないのだが、声が返ってこないところを見ると、どうやらミチルは不在のようだった。「留守か。」そうつぶやくと、俊彦は玄関の上がりかまちに腰をおろした。そのとき、ミチルの声がした。「あらあなた、早かったのね。今日は同窓会じゃなかったの?」
 ミチルが現れたことと、同窓会のことを切り出されたことに、俊彦は驚いた。案内が来たことは言わなかったのに、なぜ知っているのだろうか。「え、あ、ああ。同窓会、だけど、俺、話したっけか。」「話さなくたって、案内状を私の鏡台に置きっぱなしにしていたら、見てくれって言ってるのと同じじゃない。」「あ、ああ、そうか。すまない。」「別にいいですけど。」そう言ってミチルはダイニングテーブルに腰を下ろした。
 俊彦も、ミチルと向かい合うようにダイニングテーブルについた。「あなた、お茶は?」「ああ、いただこうか。」「今日は暑かったですね。」「うん、そうだな。・・・剛一は、どうしてる?」「外で遊んでます。さっきお友達が迎えに来て。夕飯までには戻るように言ったんだけど、今日は遅いかもしれないわ。」「何かあったのか?」ミチルはため息をついて俊彦の顔をじっと見ると、「私が悪いんだってあなたは言うでしょうけど。」と言った。



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絆〜ほんとうに大切なもの(4)

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 「お前が悪いって?」驚く俊彦に向かってミチルは言葉を続ける。「あなたいつも言うじゃない、俺は子供の面倒まで見られないんだからって。」俊彦はバツが悪そうに頭をかいた。理恵と話した後では、自分がそんなことを言っていたのかと恥ずかしくなる。「そうだったな。今まで、すまなかった。俺もこれからはもう少し剛一のことを考えるようにするよ。」それを聞いたミチルは、信じられないという顔で俊彦の顔をまじまじと見た。「何かあったの?」「いや、何もないよ。本当にすまなかったと思ったから、そう言っただけだ。それより、剛一がどうしたのか、話してくれないか。」ミチルはしばらく考えているようだったが、「分かったわ。」と言うと、今日あったことをゆっくりと話し始めた。
 ミチルの話によるとこうだった。剛一は昨夜寝る前からどうも元気がなかったのだが、緊張しているのだろうと思っていた。しかし会場へ着いても上の空で、塾長にも注意される始末だった。「模擬面接といえども、そんなことでは通りませんよ。」周囲からクスクスと笑い声が漏れる。ミチルは顔から火が出るほど恥ずかしかったそうだ。
 いちおう模擬面接は受けたものの、案の定、判定は「不合格」。やる気がないならもう来週から来なくていい、とまで言われてしまった。帰ってからもボーっとしている剛一を、強い口調でどういうつもりなのかと問い詰めたミチルは、剛一の涙を見てハッと息を呑んだ。「お母さん、僕、私立なんか行きたくない。卓磨くんと同じ中学に行って、サッカークラブもずっと続けたいんだ。ねえ、お願いだよ、お母さん。一生のお願いだよ。」剛一は涙ながらに訴える。ミチルは混乱した。なぜ?これまでそんなこと一度も言わなかったのに―。私立の中学に行かなければ、お父さんよりいい大学にも入れないし、お父さんよりいい会社に就職できないのよ。焦ったミチルは咄嗟にそう言ってしまった。