Creator’s World WEB連載
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絆〜ほんとうに大切なもの(1)

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 その夜、俊彦は久しぶりに夢を見た。『星の王子さま』に出てくる王子さまと会話をしていて、まるでお話の中の旅人になったようだった。本当に大切なものは目に見えないんだ、そんな言葉を聞いたときだったか、突然王子さまの姿が女性に変わり、近づいた俊彦は驚いた。それは依子だったのだ。呆気にとられる俊彦に、依子は話しかけてきた。あなたの大切なものは何ですか?俊彦はどぎまぎしながら、俺の大切なものは・・・と考えていると、答えを促すかのように、あなたの大切なものは、なんですか、・・・・まるでエコーがかかったようにあらゆる方向から声が聞こえてくる。
 しかもさっきまで依子だったその女性は、いつのまにかミチルになり、俊彦を問いつめた。あなた、大切なものはあたし、って、なぜ言ってくれないの?あなたの大切なものはあたしでしょう?あなたのあなたの―大切な大切な―ものはものは・・・
 「やめてくれーっ!」俊彦は思わず大声をあげた。「あなた、あなた、どうしたの?大丈夫?」やめてくれ、ミチル、やめてくれないか。「一体どうしたっていうの!?あなた変よ!」その強い口調で目が覚めた俊彦は、そこが自宅の寝室であることに気づき、ふうっと安堵のため息をついた。「ひどくうなされてたわよ。汗びっしょりじゃない。」そう言われて初めて、自分がひどく汗をかいていることを知った。「それにお化けでも見たような顔してるわ。顔洗ったら?」お化け、そうだな。あんなの、化け物以外にありえない。
 着替えて洗面台へ向かう俊彦の背中から、ミチルの声がする。「あたしはもう少し寝かせてもらいます。睡眠不足はお肌の大敵なんですから!」ああ、いつまででも寝ててくれよ。お前がいつまで寝てたって世の中変わりはしないさ。心の中で悪態をつくと、俊彦はうろたえた自分に喝を入れるように、冷たい水で顔を洗った。



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絆〜ほんとうに大切なもの(2)

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 「じゃあ行ってくるよ。」「はい、行っていらっしゃい。」同窓会当日、依子は朝早く出かける夫を送り出していた。「夕飯は済ませてくるから心配しなくていい。大学の友達とゆっくりしておいで。」「はい。」そう言いながら、依子は一抹の寂しさを覚えていた。
 やはりこの人は、私のことを気にかけてはくれないのだわ。気にしていたら、早く帰ってこいとか何とか、言って当然じゃなくて?だが理恵に言わせればそれは贅沢なのだそうだ。私は当たり前のことを言っているつもりなんだけどな。そう考えながら、依子は理恵の言葉を思い出していた。本当に大切なものは目に見えない、か。私にとって大切なものは、何だろう?その時、電話のベルが鳴った。
 「もしもし、依子?今から出てこられる?」理恵だった。「え?何、どうしたの?」事情がのみこめずにいる依子に、理恵はかまわずまくし立てた。「今日の式典で花束を受け取るはずだった人が、急用が入っちゃって、午後からになるんですって。あなた午前中は難しいかもって言ってたけど、もし出てこられるんだったら、花束受け取ってもらえないかしら?」「え、なんで私なの?」「他のみんながあなたがいいって言うのよ。」
 何だかますます話しが分からなくなってきたが、夫が思ったより早く出かけて時間をもてあましていた依子は、その依頼を受けることにした。「分かったわ。何時にどこへ行けばいい?」「講堂分かるわよね?そこに、10時ごろに来てくれる?」「10時に講堂ね、分かったわ。じゃあ後でね。」依子は電話を切ると、すぐに支度を始めた。
 最寄り駅に着くと、切符を買うために大学のある駅までの料金を調べる。最近はプリペイド式やICのカードもあるようだが、やはり切符を買って乗る方が、風情があると思っていた。料金を調べて券売機の列に並び、ふと脇に目をやると、点字の表示が目に入った。



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絆〜ほんとうに大切なもの(3)

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 そうそう、新聞の折り込みに点字通信講座のチラシが入っていたわ。うちの伯父さんも緑内障とかで視力が衰えてるって言ってたけど、点字を覚えたら役に立てるかしら―。などと考えているうちに順番が回ってきたので、依子は切符を買ったあと、点字表示に近づき、時折手で触れたりしながら熱心に見始めた。しばらく見入っていると後ろからポンポンと肩を叩く人があり、依子は振り返ったが、見知った人には思えない。訝しげな依子にその人は言った。「お手伝いしましょうか?どちらまで行かれるんですか?」どうやら視覚障害者と間違えられたらしい。依子は真っ赤になって、「大丈夫です、すみません!」とやっとの思いで言うと、逃げるように改札を通ってホームへ急いだ。
 同窓会当日、俊彦は模擬面接に出かける剛一とミチルを朝早く送り出すと、大学生のころに読んだ小説を取り出した。当時読んでいたのは8歳年上の兄から借りたハードカバーだったが、いま手にしているのは昨日の帰り道に古本市で見つけた文庫本だった。
 この小説は、作者の意図に反して売れたんだ。兄はそう言っていつもの文学談義を始めた。「世間のやつらはこれが恋愛小説だと言っているが、そんな莫迦な話があるものか。これは生と死を正面から捉えた作品だ。お前もそう思うだろう、俊彦?」この作品をよく理解できない俊彦が曖昧に返事をすると、兄は得意になって自説を披露するのだった。
 「要するに、生者が死者を悼むかぎり、死者は生き続けるんだ。この小説でも、主人公と親友の恋人、そしてその恋人が死んだ後は彼女の友人と、主人公は関係を持つ。それは恋愛なんかじゃない。彼らは死者の存在を確かめるために交わるんだよ。交わっているかぎり、死者はそこにいるからだ。」同じタイトルの曲名が昔あっただろうか。心なしか、もの悲しいメロディだったように思う。



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絆〜ほんとうに大切なもの(4)

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 そんなことを考えながらゆっくりとページをめくる。正直今でもよく分からないなぁ。俊彦はあらためて兄の偉大さを思った。小さい頃から何かにつけて兄と比較されてきたが、不思議とそれが嫌ではなかった。子供心にも、兄はすごい人だと思っていたのだ。その兄が3年前に交通事故で亡くなり、すっかりふさぎこんでしまった父は、後を追うようにその翌年に亡くなった。結局俺は兄貴の代わりにはなれなかったんだ。母は、兄の幻影にとらわれ続けた俊彦をいたわるように、これからはあんたの人生を歩みなさい、と言った。
 だが俊彦にとって自分の人生とは兄がいてこそのものだった。兄がいなくなった今、自分はどうやって生きていけばいいのか、俊彦にはまだ分からなかった。しかしこうして兄のことを思っていれば、兄が存在していると感じるのも確かだった。兄が言っていたように、生きている者が死んだ者を悼むかぎり死者は生き続けるのであれば、兄は今でもどこかに存在しているに違いないのだ。
 ふと時計を見てもう9時を回ろうとしていることに気づき、俊彦はあわてて身支度を始めた。今日は9時半からミサだったな。在学中は一度も出席しなかったが、せっかくだから出ることにしよう。山岡や小西も来ると言っていたし―。
 二人は学生時代に俊彦が常に行動を共にしていた同級生だ。彼らは俊彦の苗字が男性タレントに似ているところから、そのタレントと同じ「トシちゃん」というあだ名で俊彦を呼んでいた。俊彦も最初は嫌がったものの、次第にそれもいいかと思い始め、四年も経つとクラスの大部分の人間がそのあだ名で呼ぶようになっていた。卒業後もしばらくは彼らと会っていたが、互いに結婚して子供ができると疎遠になってしまい、会うのは実に10年ぶりだった。俊彦は駅へ向かいながら、学生時代のことを思い出していた。