Creator’s World WEB連載
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第1回 第2回 第3回 第4回
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絆〜ほんとうに大切なもの(1)

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「もしもし、依子?あたし、理恵よ。久しぶりね。元気?」「うん、元気よ。本当、久しぶりね!1年半くらいかしら?」「もうそのくらいになるかしら。実はダンナが東京に戻ることが決まったんだけど、まだ引継ぎやら何やらで忙しいから、私だけ先に戻ってきたの。ねえ、遊びにこない?」「行きたい!でも、今日はダメなの。来週なら行けると思うわ。」「じゃあ来週の火曜日でどう?お菓子作って待ってるわよ。」「嬉しい!理恵のお菓子、本当に美味しいものね!期待してるわ。近くなったらまた電話するわね。それじゃあ。」「うん、それじゃあね。バイバイ。」
  理恵は夫が九州に転勤になったので、この1年半、一緒に九州で生活していた。九州行きを決めてから、仕事もすっぱり辞めた。かなり慰留されたらしいが、本人はいたって淡白で、どうせいつか辞めるつもりだったから、今辞めても同じだと思ったのよ、と言うのだった。依子は何事も自分で決めている理恵がまぶしく思えた。自分は、結婚するまでは親に従い、結婚してからは夫に従うものと思って生きてきたからだ。だが夫は、君の好きなようにしていいよ、というのが口癖だった。初めてそういわれたときは意味が分からなかった。今でもよく分かっていないかもしれない。
  自分の好きにするというのはどういうことなのか、そもそも自分の好きなことは何なのか、依子はそれまで一度も考えたことがなかった。同窓会の話をしたときも、夫は、「君が行きたいなら、行ってきたらいい。僕はその日仕事だから行けないが、同級生と会うなら、僕はいないほうがいいんじゃないか。久しぶりに羽を伸ばしておいで。」と言った。だがそれが依子にはまるで自分が関心をもたれていないかのように聞こえるのだった。



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絆〜ほんとうに大切なもの(2)

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「ねえ理恵、どう思う?」「どうって、何が?」「だから、同窓会のこと、主人に言ったときの反応よ。」「いいだんな様じゃない!うちのダンナだったら百くらい小言が返ってくるわよ!ホント嫌になるわ。でもね、日程を見たら彼がまだ帰ってないときなの!だから思いっきり羽伸ばすわよ〜。ね、依子も行くでしょ?」「え、ええ・・・」「何よ、まだ迷ってるの?いいじゃない、行っておいでって言われたんだし。」「そうなんだけど、でもね、ちょっと気になることがあるのよ。」「なに?」「覚えてる?原田俊彦君。」「原田君?彼がどうかしたの?」
「実はね、この前思い出したの、原田君に告白されたときのこと。」「あー、そんなこともあったわね。」「ねえ、原田君に会ったら、どうなると思う?」「どうって、あんたまさか、何か期待してるんじゃないでしょうね。そんなの昔のことじゃない!今とは全然違うわよ。それにね、あんたはご主人のありがたみが分かってないのよ。」「だって、理恵のだんな様みたいに関心を示してくれないんだもの。」「うちのはただうるさいだけよ!」
  そして、理恵は大きくふう、とため息をついて言った。「大切なものは、目に見えない、か。」「何、それ?」「うちのダンナが好きな小説の一節。星の王子さま、だったかな。いい年してメルヘンオヤジなのよ!」ぷっと吹き出した依子につられて理恵も笑い出したが、すぐに真顔に戻ると、依子に向かって言った。「あたしは本当にあなたを心配しているの。大切なのは今をどう生きるかなのよ。」理恵が真剣なのは依子にも分かった。だがどうしても、夫との間にある溝を埋められるとは思えなかった。「とにかく、」と理恵は言った。「同窓会には行きましょう、ね。久美子と佳恵も来るって言ってたから、おしゃべりしたらきっと気が紛れるわ。」依子はうなずいたが、内心では俊彦が来なければ行く意味はないとさえ感じていた。



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絆〜ほんとうに大切なもの(3)

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 ある朝、俊彦は隣で寝ていたはずのミチルがいないことに気づいた。時計を見るとまだ7時にもなっていない。ミチルのやつ、こんな早くからいったいどこへ行くんだ。俊彦は起き上がり、リビングへ向かった。するとミチルだけではなく、剛一も身支度をして出かける用意をしているではないか。俊彦は思わず、「あれ、どうしたんだ。どこへ行くんだ。」と驚いたように言った。言われたミチルは大きな声に驚いたのか、睨むように俊彦を見ると、怒ったように言った。「もう、おととい言ったじゃない、いつも上の空なんだから!今日は模擬面接の説明会があるのよ。」しまった、そうだったか。だが努めて平静に、言葉を続けた。
  「説明会?たかが予行演習に随分と念を入れるんだな。」「やめてよ、そんな言い方。あなたには分からないかもしれないけど、予行演習はとても重要なのよ。雰囲気に呑まれないように、訓練しなきゃいけないんだから。その訓練の成果を最大限に引き出すための説明会なんですって。」俊彦は色々言いたいことがあったが、とりあえず自分も身支度を始めることにした。鬚をそり、歯を磨き、ワイシャツを着て、ネクタイをしめる。
  ミチルは剛一の持ち物を一緒に確認してやりながら、俊彦に言った。「そういうわけだから、あなた、朝ごはんは一人で食べてね。冷蔵庫にサンドイッチがあるから。」俊彦はコートを羽織ると、「いや、今日は俺も早く行くよ。会議の資料を読んでないのを思い出した。サンドイッチは道中いただくことにする。」と言いながら、冷蔵庫から皿を取り出し、サンドイッチをラップごと包んでポケットに入れた。「お皿は台所に出しておいてね。」「ん?あ、ああ。」あわてて皿を台所の流しに置くと、俊彦は二人と連れ立って家を出た。
  「いつもの駅でいいんだろう?」「ええ。」「じゃあ俺も一緒に行くよ。たまにはいいだろう。」ミチルは苦笑いとも微笑みともつかない表情を浮かべて、「そうね。」と言った。



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絆〜ほんとうに大切なもの(4)

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 それにしても、と俊彦は時折スキップしながら、弾むように歩いている剛一に目をやった。「剛一のやつ、ずいぶん嬉しそうだな。説明会とかいうのがそんなに楽しみなのか?」とミチルに問いかけると、ミチルは少しあきれたような顔で答えた。「そんなわけないでしょう。剛一はね、あなたが一緒だから嬉しいのよ。」「俺が一緒だから?」「そう。だって、あなたこのごろ剛一と一緒に出ることなんてないじゃない。子供っていうのはね、そういう何気ないことを喜ぶものなのよ。」「そういうもんかな。」「そうなのよ。」断言されては続ける言葉がない。さて何を言ったものかと考えていると、剛一が話しかけてきた。
 「ねえお父さん、これ知ってる?」俊彦が「ん?なんだ?」と言うと、剛一は言葉を続けた。「本当に大切なものは目に見えない、っていうの。なんだか分かる?」「本当に大切なもの?目に見えないって?」とオウム返しのように言って、俊彦は考えた。「ああ、あれだ。ええとたしか、星の王子さまだ。違うか?」「正解!お父さんすごい、よく知ってるね。」「まあな。これでも昔は文学少年だったんだ。」「へえ〜。」剛一にすごいと言われて思わず相好を崩した俊彦は、ミチルに尋ねた。「俺が知ったのは中学の時だったと思うが、最近の小学校はもうそんなことを教えているのか。」「学校じゃないの、塾なのよ。心の教育がなんとかっていって、面接でもそういうのが聞かれるんですって。」
 なんだ、受験なのか。俊彦は苦虫をかみつぶしたような、なんともいえない表情になった。元文学少年としては、自分の子供が文学に興味を持ってくれるのは嬉しいが、そのきっかけが受験というのはあまりにさびしすぎる。そう言いたげな表情だった。