Creator’s World WEB連載
Creator’s World WEB連載 Creator’s World WEB連載
書籍画像
→作者のページへ
→書籍を購入する
Creator’s World WEB連載
第1回 第2回 第3回 第4回
LINE

絆〜ほんとうに大切なもの(1)

LINE

 「お父さんの悪口言わないで!」剛一は食ってかかるように言った。「悪口なんて―」「悪口じゃないか!僕はただサッカーがしたいだけなのに、それがなんでそんなにいけないことなんだよ!?」語気を荒げる剛一に、ミチルは何も言えなかった。その時、玄関のチャイムが鳴った。「卓磨くんだ!サッカーしに行ってくる。」と言うと、Tシャツの袖で涙をぬぐいながら、剛一は出て行った。ミチルは後ろから「夕ご飯までには帰るのよ!」と叫んだが、返事はなかった。
 すべて話し終えたミチルは、大きくため息をついた。俊彦は何かを考えていたが、しばらくして口を開いた。「剛一の好きにさせてやったらどうかな。」「でもあなた、私立に行かせるのはあなたも賛成したじゃない。」「確かに俺も賛成したが、本人が行きたがれば、の話だ。行きたくないんなら、無理に行かせることもないだろう。高校から受けられる私立だってあるし。」「それはそうですけど・・・」
 「親として俺たちにできるのは、剛一が一人で生きていけるようにすることだ。そうだろう?」「え、ええ。」「剛一は、ミチルに逆らった。これはとても勇気の要ることだ。それまではい、はい、と言うことを聞いてきたのに、急に反抗する。だが実は急じゃない。本人の中では十分に考え抜かれたことなんだ。大人の俺たちから見たら穴だらけで、とても考え抜いたとは言えないが、剛一は大人への一歩を踏み出したんだよ。」
 俊彦はお茶をひと口飲むと、さらに続けた。「それを祝福する意味でも、好きなようにさせてやろうじゃないか。行きたくもない私立に行くより、公立の中学に行って勉強もサッカーも両立させろ、って言うほうが、よっぽど剛一のためになるんじゃないかな。途中で投げ出したり、怠けたりしたら叱ればいい。そうやって最後までやり遂げさせる方が、一人で生きていくのに役立つと思うぞ。」



第1回 第2回 第3回 第4回
LINE

絆〜ほんとうに大切なもの(2)

LINE

 ミチルはじっと聞いていたが、急に下を向いて泣き出した。「おい、どうしたんだ。私立に行かせるのは俺も賛成したことなんだから、お前を責めてるわけじゃないんだぞ。」なだめる俊彦に、ミチルはかすれた声で言った。「違うの。嬉しいのよ。あなたが私の話を聞いてくれて、一緒に考えてくれたことが嬉しいの。私ずっと、いい母親にならなきゃって思ってた。お仕事が忙しいのはよく分かってるから、あなたの手をわずらわせちゃいけないって・・・」こみ上げる嗚咽をこらえ、ミチルは言葉を続ける。
 「それに、同窓会のこともあったし。」「同窓会?」俊彦が聞くと、ミチルは小さくうなずいた。「案内状をあなた、私の鏡台の上に置きっぱなしにしたじゃない?あれを見て、いつ話してくれるんだろうって思ってたの。でもあなたは話してくれなかった。それに案内が来てから、あなた、何だかそわそわ、いいえ、うきうきしてた。きっと私の知らない誰かとの再会を楽しみにしてるんだと思って、悲しかった。十何年も一緒にいるうち、私はあなたにとって大切な人じゃなくなったような、そんな気がしたの。」「そんなことは―」「最後まで言わせて。お願い。」俊彦は黙ってうなずいた。「だから余計に、私は頑張らなきゃいけないって思ったの。剛一を私立中学に行かせなくちゃ、って。でもそれが剛一には重荷だったのね・・・。」二人の間に沈黙が流れる。
 しばらくして俊彦が言った。「すまん。たしかに俺は浮かれてた。息苦しかったんだ。君が剛一の受験に夢中になればなるほど、自分の居場所がなくなる気がして逃げたかった。でも逃げても、行き着くのはやっぱりここなんだ。俺にとって安らげる場所は、君と剛一のいる、この家なんだよ。同窓会に行って、やっとそれが分かった。今まで本当にすまなかった。君のことを一生大切にするから、だから、これからも一緒にいてくれ。頼む。」



第1回 第2回 第3回 第4回
LINE

絆〜ほんとうに大切なもの(3)

LINE

 頭を下げる俊彦の前で、ミチルは大声を上げて泣いた。そして泣きながら話そうとしたが、しゃくりあげているので声にならない。かろうじてこれだけが俊彦の耳に届いた。「あなた・・・あなた・・・」俊彦は泣きじゃくるミチルをしっかりと抱き締めた。「大丈夫だから、俺が守ってやるから、だから心配するな。なあ、ミチル。剛一のことも心配するな。大丈夫だ。あいつは強い子だ。お前がちゃんと育てたんだ。だから心配するな。みんなうまく行く。俺たち3人が力をあわせれば、できないことなんてないさ。そうだろう?今までそれで乗り切ってきたじゃないか。だからこれからも頑張ろう。な。」
 自分の腕の中で泣きながら、うん、うん、とうなずき続けるミチルを見て、俊彦は胸が締め付けられる思いだった。本当に大切なのは目に見えないもの―。突然、剛一に言われた小説の一節が脳裏によみがえる。本当だよな。俺が見ていなかったものがいちばん大切なものだったんだ。これからは、決して目を離さないよ。俊彦はミチルの額にそっと口づけをした。


 同窓会の二年後、俊彦は別の会社に転職していた。収入は3割ほど減ったが、繰上げ返済で借金も減ったので、思い切って決断したのだ。そしていつもの朝の風景ががらっと変わった。ドアを開けて最初に出てくるのは剛一。その次が俊彦。そして最後にミチルが出てきて二人を見送る。通勤時間が短くなったので、俊彦は毎朝、剛一と一緒に家を出られるようになったのだ。地元の中学は駅へ行く途中の角を曲がったところにある。俊彦は剛一と別れるまでの数分、「男同士」の話をするのが一番の楽しみだった。子供の成長を間近に見られるのはいいもんだな。俊彦は心からそう思っていた。



第1回 第2回 第3回 第4回
LINE

絆〜ほんとうに大切なもの(4)

LINE

 「今日は傘を持っていって、ってあれほど言ったのに、忘れてるじゃない!」ミチルの声が響く。「いっけねえ」剛一があわてて取りに戻る。「はい、お父さんの傘。」「おお、すまんな。ありがとう。」「いいってことよ。」「剛一、お父さんにそんな口のきき方しちゃダメでしょう!」すかさずミチルの叱咤が飛ぶ。「はあい。」「はあいじゃなくて、はい!何度も言わせないでちょうだい。三者面談があるんでしょ、お知らせ見せなきゃだめよ。」「ええ、なんで知ってるの?」「卓磨くんから聞きました。」「あいつ裏切りやがったな。」「そんなこと言うもんじゃありません。本当に、私立中に行っててくれたら受験の心配もなかったのにね。」「あー、またそれを言うー。言わないって言ったじゃないかー。」
 剛一はふくれっ面をしてみせるが、もちろん本当に怒っているわけではない。次の瞬間には3人ともふきだしているのだ。「二人とも気をつけてね。剛一、まっすぐ帰るのよ。」「はい!分かってます。」剛一の様子に、俊彦もミチルも思わず笑ってしまう。かつてあれほどぎくしゃくしていたとは思えない、幸せな家族の姿がそこにはあった。
 駅に向かう道はなだらかなのぼり坂になっている。俊彦はその坂を、剛一の後ろについて歩く。「なあ剛一、好きな子いるのか?」「なんだよいきなり〜。」「お父さんもお前くらいの時に好きな子がいたからな。どうなんだ?」「それは個人情報だよ、お父さん。」「個人情報?なんだそりゃ。」途中、剛一の後ろから右隣へと移動した俊彦は、前方から来た女性とすれ違いざま肩がぶつかってしまった。
 「失礼」と一瞬女性に目をやったが、すぐに向きなおると、まっすぐ駅の方へ歩いていった。女性はそんな俊彦の後ろ姿をしばらく見ていたが、ベビーカーの赤ん坊をあやしながら、俊彦たち二人とは反対の方向へ去っていった。その女性の顔は、安らかな微笑をたたえていた。