Creator’s World WEB連載
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第1回 第2回 第3回 第4回
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絆〜ほんとうに大切なもの(1)

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 原田俊彦は平凡なサラリーマン。妻と息子と3人暮らしだ。豪邸とはいえないが、5年前に家を建てた。費用は双方の両親から少しずつ出してもらい、自分たちの貯金と合わせて足りない分のローンを組んだ。おかげで月々の負担も少なく、完済までの期間も短い。いい買い物だったんじゃないか、と今でも俊彦は時々思う。妻のミチルは専業主婦。短大卒業後、俊彦と同じ会社に勤めていた。いわゆる職場結婚というやつだ。息子の剛一は今年12歳、小学6年生になる。
 ミチルは小学校を受験させたいと言ったが、俊彦はそんなに小さなうちから受験させることには反対だった。だがいざ行かせてみると、公立の小学校は学級崩壊がすすみ、普段の授業もろくにできない有様だ。そのため3年生になったころから塾に行かせることにしたのだが、そうすると当然の成り行きとして、中学受験が視野に入ってくる。ミチルは毎日のように、同じ塾に通う子供がどこを受けるつもりだの、ここは少人数教育でとても充実しているだの、俊彦にとってどうでもいいと思えることばかりまくし立てるようになった。その都度俊彦は、「うるさいな、後にしてくれよ。」と言うのだが、それがミチルには不満だった。俊彦に対し、決まって剛一への愛情が薄いと言い出し、挙句にあなたは剛一がどうなってもいいのね、と言って俊彦を困らせるのだった。
 いったい俺はあいつのどこが気に入って結婚したんだろうか――俊彦はこの頃そう思うようになっていた。それだけミチルの受験熱にうんざりしていたのかもしれない。

 大学から、卒業15年目の集まりを催すという案内が来たのはそんな時だった。在学中は同窓会など意識したこともなかったが、もう15年も経つのかと、俊彦は過ぎ去った月日を思った。



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絆〜ほんとうに大切なもの(2)

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 そういえば、あの頃思いを寄せていた女の子は今どうしているだろうか。その子はミチルとは正反対で、とても物静かで、清楚な印象だった。およそ他人の噂話とは縁がないように思えた。確か名前は、そう、川端依子だ。卒業を前に思い切って告白したら、少し当惑したように、田舎に帰って親の決めた相手と結婚するんだと言っていた。
 あとから聞いた話では、その相手というのは15歳も年上だということだった。そんなオヤジのどこがいいんだ、とそのときは思ったが、気がつけば自分もそのオヤジと同じ年になっている。今の自分が15歳年下の女の子と結婚すると考えてみると、俊彦はまんざらでもない気がするのだった。

 川端依子は故郷に戻って親の決めた相手と結婚、今年で15年目になる。15歳も年が離れているせいか、会話はあまりない。結婚当初はそんなものかと思っていたが、幼なじみの松平理恵が結婚し、その生活について聞かされるにつれ、そうではないことが分かった。理恵の夫は、理恵に言わせればとても口うるさく、家事一切に口を出す。共働きだが家事はもっぱら理恵の仕事だ。口は出すものの何もやらない夫に対し、それならあなたがやればいいじゃない、って、言ってやったわよ!と言いながら、でも本当に彼が家事全般こなすようになったら、それはそれで嫌なのよね、女心は複雑だわ、などと言って依子を笑わせる。
 笑いながらも依子は、理恵夫婦を羨ましいと思っていた。自分にはとても、夫に自分の欝憤をぶつけるなんてできないし、ましてや喧嘩なんて、もっての外。一方で、心のどこかではそういう関係になりたいとも思っていたが、夫にそれを求めるのは酷ではないだろうか、という考えも頭をかすめる。誰か別の相手とでなければ、そういう関係にはなれないのだろうか、と依子は思い始めていた。



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絆〜ほんとうに大切なもの(3)

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 そもそも夫と結婚したのも、東京の大学に出してもらったからであり、それも理恵が同じ大学の同じ学科へ行くと言ったからだった。両親は地元の短大へやり、卒業後は花嫁修業をさせるつもりだったのだが、理恵も依子も絶対にこの大学でなければいやだと言い張ったので、仕方なく東京へ出したのだった。
 その代わりに、卒業したら親の決めた人と結婚するのだと、依子は在学中から思っていた。だが大学時代の友人が次々と結婚していくにつれ、自分の結婚生活は果たしてこれでよいのだろうかと思うようになっていた。理恵だけではない、佳恵だって、久美子だって、みんな幸せに暮らしているわ、なのにどうして私は幸せと感じられないのかしら。依子は心の中に湧いてきた疑問に答えを見出せずにいた。
 ちょうどそんな時に、大学から15年目の集まりを開くという案内が来た。もう15年、早いものね――そのとき、卒業前に告白を受けたことを思い出した。彼の名前は、ええと確か・・・原田、そう、原田俊彦君だったわ。あまりお話をしたことはなかったけれど、彼は今どうしているかしら。結婚して、幸せな家庭を築いているかしら。もしまだ独身だったら――そう考えたとたん、自分でブレーキをかけていた。
 独身だって、なんだって、私はもう結婚しているんだもの、関係ないじゃない。突如自分の中に生まれた感情を必死で追い払い、考えてはいけないことだと言い聞かせる依子だったが、その思いとは裏腹に、彼女の中で俊彦の存在は次第に大きくなっていくのだった。



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絆〜ほんとうに大切なもの(4)

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「原田さん、このあと飲みに行きませんか?」俊彦はオフィスを出る直前、後輩の黒川隼人に背後から声をかけられた。「うん、あ、いや、やめておくよ。今日はちょっと早く帰らないと。」「そうなんですか?残念だな」と一応は了解した様子の黒川は、俊彦に並んで歩き出すと、言葉を続けた。「そういえば、この間高校の同期のやつらと飲んだんですけど、バブル時代の話になって、僕だけ全然ついていけなかったんですよ。そんなにいい時代だったんですか?」「バブル?君も知らない年じゃないだろう。あ、君は向こうの大学を出て就職したんだったか。それで知らないんだな。」
 俊彦は外に出ると、初秋の冷たい空気にコートの襟を立てた。「いい時代だったかと言われてもなあ、どうかな。就職には苦労しなかったが、少しは荒波にもまれたほうがよかったかと思うときもあるよ。どこもみんなそんなものだと思うけど、今じゃバブルの負の側面が強調されてるから、君の友達はそういう飲み会の時くらいしか、当時を懐かしむようなことは言えないんじゃないか。」「なるほど、そうかもしれないですね。今度からは嫌な顔をしないで、よく話を聞いてやることにします。」「ああ、それがいいだろう。」「じゃあ原田さん、僕はこっちなんで、ここで失礼します。どうも、おやすみなさい。」「ああ、おやすみ。」
黒川と別れた俊彦は、電車の中でバブルといわれた時代のことを思い出していた。ふと窓に目をやると、にやけた自分の顔が映っている。さっきは否定したが、いい思いをしたという気持ちが顔に出てしまったらしい。心なしか周囲の視線も冷たく感じられる。俊彦はネクタイをなおし、白髪の目立つ髪をなでつけた。いつからだろう、寝ても疲れが取れないと感じるようになったのは。学生時代には想像もしなかった体力の衰えだった。川端さんも、あの頃と変わっているだろうか―