Creator’s World WEB連載
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第1回 第2回 第3回 第4回
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サマーデイズ 第29回

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「あれを生け捕りにしたら、大ニュ−スになるんだがな」
「それじゃ、謙司が捕まえて持ってけば?」
「入れ物がありゃなあ」
 彼が本当に惜しそうな顔をしているので、京子はフッと笑った。
「あれぐらいで驚いてちゃ、この辺りは出歩けないわね」
「全くとんでもないところへ来たもんだ。オイ、俺を一番の奥地へ連れて行くなんつって、無事に帰れるんだろうな?」
「まあ、運次第ってとこね」
 謙司は苦笑した。
「遭難覚悟だな、こりゃ。しかし君、普段山ん中で武術の練習してんだろ?さっきの稽古場だって、君が自分で造ったんだろうが。もしヤマヅチに出くわしたらどうする気だよ?」
「平気よ、ヤマヅチなんてもっと奥のほう行かなきゃいないから。それも二、三年に一度現れるかどうかだし」
「二、三年に一度もか?それじゃ、今まで随分大勢死んだろ、奴にやられて?」
「人間がやられたのを見た人はいないの」
「うまく出来た伝説だ」
「その場に居合わせた人間は皆殺しにされるからよ。現に、昔から何人も山の中で行方不明になってるわ」
「そういうことか」
「人間の若いのが、ヤマヅチの一番の好物なんだって」
「それじや、君や俺なんか一番の御馳走じゃねえか。くわばらくわばら」
「でも、身を守る方法もないわけじゃないわ」
「どんな?」
「ヤマヅチが現れる時は、前触れがあるのよ」
「ほう」
「蝉が鳴かなくなるの」
「蝉が?」
「蝉だけじゃなくて、鳥も他の動物達も、ヤマヅチの気配に気付いて皆いなくなっちゃうの」
「人間だけが気付かない…」
「だからさ、山ん中で蝉や鳥が鳴かなくなったら、タバコを目一杯ふかしながら逃げろっていうわけ」
「そういや、蛇はタバコのヤニが嫌いなんだっけ。なんだ、案外簡単じゃないか」
「謙司、タバコ持ってるの?」
「いや…」
 思わず真顔になった彼を覗き込んで、京子は小さく笑った。



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サマーデイズ 第30回

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 そのまま構わずに先を歩く京子を見ながら、謙司は先程実体の闘争では組み伏せたはずの京子に、今やリ−ドされ気味だと感じていた。彼女は謙司を名前で呼ぶのに、彼は京子のことを遠慮がちに「君」としか呼べずにいるのだ。
 だが謙司は、この逆転した関係を楽しんでいた。同じ年頃の娘から名前で呼ばれたことなどついぞない彼にとって、一つ年下のこの少女から呼び捨てにされることが不思議なほど心地良い。
 道は、やがて山伝いに上がって逢魔ケ池を離れ、峠へと通じた。それを越えたところに、山間に埋もれたような集落があった。
 山の斜面が段々状に開墾されて水田になっており、民家もちらほらと見えている。それはありふれた山村の風景であったが、謙司の心に既視体験のような懐かしさを感じさせた。
 目的地に着いたのか、京子は歩を緩めた。「近道」と言ったのは、ここへのことだったのだろう。
「ここに、あたしの親戚が住んでるの」
「一番の奥地という割には開けてるじゃないか」
 皮肉を言う謙司に返した京子の笑顔には、つい今しがたまでとはうって変わった陰りがさしている。
「ここ、よく来るのよ」
 京子は、道沿いに迫る斜面の、短く刈られた草むらの上のほうに腰を下ろした。彼女の背後には、段々状の水田が拡がっている。
「お気に入りの場所ってわけだ」
 謙司は、斜面の中程の、京子よりも低い位置に腰を下ろした。
「さっきから聞きたいと思ってたんだがな」
 彼は辺りの風景をゆっくりと見回してから、再び口を開いた。
「武術は誰に習ったんだい?」
「父さんからよ。本当は女には教えちゃいけないんだけど、あたしが無理言ってさ」
「そんなに武術が好きなのか」
 京子は空を見上げながら、遠くを見る眼差しになった。
「お姉ちゃんがね…、あたしより十才上なんだけど、あたしが十才の時に東京へお嫁に行ったの。だけど、二年で離婚してね。すっかりやつれ果てて、左腕が麻痺してね。もう一生動かせないのよ」
「どういうわけで…」
「ひどい暴力亭主だったのよ。ことある毎にお姉ちゃんに手上げてさ…。優しいお姉ちゃんよ。ずっとあたしを可愛がってくれてね。それがそのバカ亭主のせいで、左腕が一生使いものにならなくなったのよ」
 謙司はどう応じていいか分からず黙っていたが、京子は悲憤慷慨を抑えているかのように淡々と話し続けた。


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サマーデイズ 第31回

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「それで、あたしのほうがプッツンしちゃってさ。父さんに強談判したの。
あたしに武術を教えてくれなきゃ、東京へ押しかけてそのバカ亭主を刺すって」
 抑制した口調の中に、本当にやりかねない気性の激しさが沈潜しているように見えた。
「あたしは男に叩かれない女になりたかったの。あたしに手を上げようとする男を、逆に叩きのめすような強い女になろうって。
そうすれば、お姉ちゃんの仇も少しはとれるような気がして」
「それで、念願は叶ったのかい」
 京子は淋しげに微笑んだ。
「それがさ、武術に没頭して男をぶっ飛ばして歩くあたしを見て、お姉ちゃん却って辛そうな顔してたわ」
 京子は空を見上げた。
「さっき話したでしょ」
「何だっけ?」
「あたしが叩きのめした空手部の主将のことよ」
「ああ」
「野本琢磨っていうんだけどさ、強そうにしてるもんだから、目の前へ押しかけて行ってタンカ切ってやったの。
゛あんたがやってんの、空手っぽいけど踊りの一種?″」
「うまく因縁つけたな。女にそう言われちゃ引き下がれない」
「その時も言ってやった。あたしに勝ったらキスぐらいさせてやるって」
「その手で何人やっつけた?」
「あんまり呆気なく勝ったもんだから泣けてきちゃった」
「勝っといて泣くことあるまいが」
「好きだったのよ、そいつのこと」
 謙司は、京子の顔をまんじりともせずに見詰めた。
「あんなに簡単にノビちゃうなんて、完璧に拍子抜けよ。バッカみたい」
「それはお気の毒にな。涙ちょちょ切れだったろう、君も、その野本って奴も」
 謙司は皮肉を言いながら前へ向き直ったが、京子の表情は変わらなかった。
「野本の奴、次の日から学校へ来なくなったわ。後で聞いたんだけど、町から出て行ったらしくてね。それからは喧嘩三昧。もう少し骨っぽい男の面でも見てやりたいと思ってね。渋沢や沼川、それに前崎にまで足を延ばして、手当たり次第男に喧嘩売って歩いた」
「姉さんの仇ってより、自分の為だな」
「連戦連勝よ。負け知らず」


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サマーデイズ 第32回

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 京子の口調はあくまで淡々としていた。
「それにしても、君みたいな女は目立つはずだな。結構有名なんじゃねえの?」
「゛化け猫お京″だって」
 謙司は、ひっくり返って大袈裟に笑った。
「失礼しちゃうわ、こんなベッピンつかまえてさ」
「案外と君みたいなコが、どこぞの組長のイロにでもなりかねなかったんじゃないか、ヤケのヤンパチでさ」
「へえ、そういう手もアリなんだ?」
「本当にやるなよな」
 謙司が慌て気味に言うと、京子は薄く笑った。
「あたし、ワルは嫌いなの。ヤクザなんて大っ嫌い」
「君こそいっぱしのワルじゃねえか」
「でもさ、男なんて結構だらしないって気もたしかにあったな。女のあたしに手もなくヒネられてさ。そんなんで、自分よりも弱い女に手上げてりゃ世話ないよ、お姉ちゃんの元の亭主みたいに」
「耳が痛いね」
「そう言や、謙司もさっきあたしに足上げたんだっけ」
「そこでやめときゃまだよかったんだが」
 京子はクスッと笑った。
「九仭の功を一簣に欠く?」
「姉さんの元亭主とどっこいさ」
「そうかしら」
 謙司を見下ろす京子の表情には余裕があった。彼は右手の人差し指で、首の後ろをポリポリと掻いた。
「昔、侍がいてさ」
 彼は、話の矛先を外らせた。
「剣術の腕前はたいしたことなくて、学問ばかりやってる青白い奴さ。そいつに滅法気が強い女の友達がいてね。男と喧嘩しても負けたことがないっていう、誰かさんにそっくりな女さ。ある日、その女と侍がモメてさ、彼女はパンチや蹴りは見舞うわ、棒でぶん殴るわ、散々そいつを攻め立てた。ところがその侍、どっかとあぐらをかいたままで、手も足も上げようとしなかったそうだ」
「弱いからじゃないの?抵抗すれば負けると思って」
 京子は、気のない声を出した。
「女のそちを相手に闘う気などない、鬱憤があるなら存分に晴らせ。奴がそう言ったら、しまいには女のほうが根負けしちまってね。彼女、それっきり喧嘩はやめたそうだ」
 謙司が京子のほうを見上げると、彼女は面白そうな笑みを浮かべていた。