Creator’s World WEB連載
Creator’s World WEB連載 Creator’s World WEB連載
書籍画像
→作者のページへ
→書籍を購入する
Creator’s World WEB連載
第1回 第2回 第3回 第4回
LINE

サマーデイズ 第25回

LINE

「謙司のは、空手?」
「ああ」
「空手があんなに強いなんて思わなかった」
 京子の言葉は挑発的ともとれたが、それは意趣返しのつもりではなく、心底そう思っているらしい。
「あたしさ、去年高校入った時、学校の空手部の主将って奴とタイマン張ったの」
 京子は、少し真顔になっている。
「それで?」
「一発よ。そいつ、県大会で準優勝したくらいなのよ。その時から、空手なんて大したことないってずっと思ってた」
 そう言う彼女の表情が僅かに曇っていた。空手に事寄せて、何か別のことを考えているように見える。
「空手にもいろいろあるさ」
 高校の空手部ということは、伝統的な五大流派のどれかに違いない。「ダンス空手」などと揶揄される型重視派の空手では、京子には歯が立たないのも当然だ−謙司はそう思っていた。進元流か、せめて極武館流の空手でなければ、彼女を制することはまず難しいだろう。
十七才の少女がそれだけの実力を持つということが、彼にとってはとにかく驚きだった。
「ねえ、近道しない?」
 京子はやにわに立ち止まると、目を輝かせて謙司のほうを向いた。
「近道ったって、もうじきだろうが」
「いいから!ここよ」
 言いながら京子は、傍らの藪を指差した。
「ここって…、お前どうする気だよ」
 藪は、身の丈よりも高く生い茂っている。京子は例の短剣を抜くと、当惑している謙司を尻目に藪に突入した。
彼はつられるように彼女の後を追う。
 京子は、見事な刀捌きで藪を右に左に切り払いながら、ずんずん進んで行く。足元に気をつけながら覚束ない足取りで付いて行く謙司よりも、障害を排除しながら前進する京子のほうが数段速く、彼は置いてきぼりを喰いそうになった。
「おい!」
 謙司は堪らずに叫んだ。



第1回 第2回 第3回 第4回
LINE

サマーデイズ 第26回

LINE

「ええ!?」
「こんなんじゃ、あのまま行ったほうが良かったんじゃねえか!?」
「いいから付いて来て!悪いようにはしないから!」
「とっくに悪くなってら!」
「もしかして、足でも咬まれた!?」
「何だと!?」
「ここ、マムシいるから気を付けて!」
「それを早く言え!」
 謙司は身が竦んでしまい、大慌てで京子に追い縋った。
 藪を突き抜けると、そこは林道だった。道の向こう側は原生林になっていて、謙司が名も知らぬ無数の大木が、下草とともに野放図に生い茂っている。蝉のスコ−ルは引きも切らず耳をつん裂いていた。どうやら、田代山荘がある辺りからはかなり離れた場所のようだ。
「やれやれ、何が近道だ」
「帰りの近道とは言わなかったよ」
 京子は得意そうな顔をした。勝手気ままな性格の持ち主のようで、謙司は苦笑した。ここは諦めて付いて行くしかあるまい。
「これから、どこ行くんだい」
「一番の奥地」
「鬼が出るか蛇が出るか、なんとも楽しみなこった。まさか、クマの巣にでも連れて行くわけじゃあるまいな」
 京子はいきなり立ち止まって、微笑しながら謙司の顔を覗き込んだ。
「クマ、見たい?」
 思わず立ち竦んだ謙司を見て、京子はクククッと笑った。
「本気にしたでしょ?」
「俺は別に、クマなんて怖かないぜ。君を盾にすりゃ、奴さんのほうが驚いて逃げ出すに決まってるからな」
「本当にそうなるかどうか確かめて見ようか?」
「いや…、今日は遠慮しとくよ」
 さすがに少々うろたえ気味の謙司を見て笑いながら、京子は元気一杯の足取りで歩き出した。その様子には、ついさっきまでの獣じみた凶々しさは見られない。元来、天真爛漫な娘なのだろう。
 前を行く京子のポニ−テ−ルが、謙司が手を伸ばせば届きそうな位置にある。栗色のその髪はさすがに手入れが行き届いていて、林道の両側から木々の枝がトンネルのように覆う中で、艶やかな光を放っていた。
 謙司が彼女の髪に見惚れていると、林道が突き当たって視界が開けた。目前に、直径五百メ−トルほどの池が広がっている。
「逢魔ケ池よ」
 二人は、池沿いの小道をゆっくりと歩いた。


第1回 第2回 第3回 第4回
LINE

サマーデイズ 第27回

LINE

「逢魔ケ刻ってあるじゃない?」
「黄昏時のことだろう?」
「昔ね、その時間にここを通ると魔物に出くわすって言われてたから」
 謙司は、改めてその池を見た。暗緑色の水をたたえたその池は、周囲を覆う森林を揺るがす蝉の声を呑み込むように静まり返っている。
 名状し難い妖気が迫ってくるように感じて、彼は京子の顔を見た。
「何かヌシでもいそうだな」
「ヌシなんていないけど、この池の魚はみな大きくなるのよ。ウナギなんて三メ−トルぐらいあるのがざらよ」
「へえ。だけど、魔物と呼ぶにはちょっと迫力不足だな。大蛇とかツチノコなんていないのか?」
「そんなのより遥かに凶悪なのがいるわ。ヤマヅチといってね、本当の魔物はそれよ」
「ヤマヅチ?」
「マムシをうんと大きくしたような猛毒蛇でね、一番大きなやつは長さ十五尺、太さ一尺半ぐらいになるんだって」
「てことは…、長さ四・五メ−トル、太さ四十五センチってとこか。ウ−ン、マムシっていうよりツチノコの化け物って感じだな」
 謙司は、さすがに半信半疑の表情だ。
「よく現れるのは二メ−トル級のやつよ。こいつと出くわしたら、まず助からないと思っていいわね。
自分以外の生き物には片っ端から襲いかかるから。獲物を見つけると、体をつずら折りにして、
伸び上がる反動でジャンプして相手の首を狙うの。クマがこいつにやられて、一分ぐらいで死んだのを実際に見た人がいるのよ、ずっと前の話だけど」
「ティラノサウルスでも倒せそうだな」
 謙司は呆れ顔になった。山村に伝わる物の怪の伝説とは、えてしてそういうものだろうとでも言いたげだ。
 京子は構わず話を続けた。
「今から十年前にね、原井戸に腕っこきの猟師が住んでたんだけど、その人が向こうの山の中でヤマヅチに出くわしてさ、猟銃放り捨てて逃げ出したってんだから」
「逃げた?…」
「村の人達は皆、よく逃げられたって感心してたわ。あたし当時七才だったけど、村中が結構騒ぎになったからよく覚えてるの」


第1回 第2回 第3回 第4回
LINE

サマーデイズ 第28回

LINE

「ちょっと待てよ、その猟師って奴、よっぽどのヘボじゃねえのか?」
「違うのよ、それが。凄腕の猟師だって、村中の誰もが一目置いてたくらいでね」
「しかしさ、ふつうそんな危険な動物に出くわしたら、まともな猟師なら本能的に猟銃構えて応戦するんじゃ…」
「そうは行かなかったのよ。ヤマヅチの毒気に圧倒されて、完全にパニクっちゃったのね。そうでなきゃ、逃げ出すわけないじゃない?」
「奴さんの毒気ってのは、そんなに物凄いのか。それにしても、おっ放り出すとはな…」
「もうだいぶ前のことだけど、永野県のある村でね、食いっぱぐれた大グマが、住人を何人も食い殺したの。地元の猟師じゃ持て余すって、わざわざその猟師に退治を頼みに来たのよ、大枚積んで」
「ほう…」
「十メ−トルまで近付いて、一撃で仕留めたんだって。少しでも的を外してたら、確実に自分が食い殺されてた」
「それほどの猟師が、ヤマヅチにはすっかりビビったか」
 謙司は思いを巡らせた。秀でた勇猛さを誇る猟師を竦み上がらせたヤマヅチの毒気とは、一体何なのか。
「その人ね、それから一週間で他所へ引っ越したの」
「面子が潰れて居ずらくなったんだろう」
「そうじゃないの。ヤマヅチの幻影に怯えて気が触れそうになったのよ。もうすぐ俺を殺しに来るってうなされ続けて」
「そうなのか」
 謙司の口調もさすがに重苦しくなった。
「それで、他の家族と一緒にここを出て行ったわけ。ヤマヅチが相手じゃああなっても無理はないって、村の皆がその猟師に同情してたわよ」
「そんなに恐れられてるのか」
 伝説によって誇張されている面もあるのだろうが、逢魔ケ池が漂わせている気配に接していると、
そんなこともあるのかという気もしてくる。謙司にも゛山の気″が染みてきたらしい。彼は京子に先導されるまま、別世界へと誘われて行くような気がした。
「おい、あれ!」
 謙司は突然立ち止まると、左側の土手の草むらを指差した。そこに大きなアオダイショウが伸びていて、上に拡がる原生林のほうへ這い登って行くところである。
「なんだ、あれぐらいこの辺じゃ普通よ」
 京子の口調は、何でこんなものを見て驚くのかと言わんばかりだった。
 だが、それはどう見てもビ−ル瓶よりは太く、長さも優に四メ−トルほどはあるかと思われた。動物図鑑にも載っていないほどの巨大さである。
「謙司!ほら早く!」
 立ち尽くして大蛇に見入っていた謙司は、京子の突き通るような声で我に返った。見ると、彼女は既に三十メ−トルほども先にいる。彼は小走りに、先導する京子に追い付いた。