Creator’s World WEB連載
Creator’s World WEB連載 Creator’s World WEB連載
書籍画像
→作者のページへ
→書籍を購入する
Creator’s World WEB連載
第1回 第2回 第3回 第4回
LINE

サマーデイズ 第21回

LINE

 彼女は腰が宙に浮いた姿勢のまま、それでも呆れるほどのしなやかさで、獣が唸るような激しい息遣いとともに膝蹴りを放ってくる。謙司は、股間への蹴りを警戒して彼女の両足の間へ足を突き入れながら前進し、軸足を払って倒し込んだ。広場の端の木の幹を背にして尻もちをついた京子の両手首を、力まかせに背中へ廻させた上、両膝の上に馬乗りになってがっちり押さえ込むと、彼女は完全に身動きが取れなくなった。 縄目をふりほどこうとする狂人さながら激しくもがく京子を抱くように押さえ付けたまま、謙司は彼女の両手首を力まかせに握りつけた。手首の骨がひしぐ感触があって、京子は歪めた顔を上に向けながら、ぐうっと喉の奥を鳴らしてうめいた。彼の握力は左右とも百キロを超えている。その力を全く加減せず握りつけたとあっては強烈な苦痛に違いないのだが、京子は悲鳴をこらえて痛みに耐え抜いた。
「どうだ!まだやるか!」 力を緩めた謙司を、京子は精一杯睨み返した。だが、その目からは獰猛さが薄らいでいる。
 謙司は、再び彼女の手首を渾身の力で握りつけた上に、両肘を決めて強く捩り上げた。
「ひいいっ!」
 人に痛めつけられて悲鳴を上げたことなど滅多になかった。京子にしてみれば、こう見事に組み伏せられてはどうすることも出来ない。万一この場を切り抜けて再度立ち合いに持ち込んだとしても、勝ち目のない相手であることは分かっている。
 もうこれまでだ−その思いが兆した途端に、彼女の胸の内で真っ黒な要塞が音を立てて崩壊した。
 ようやく力を抜いた謙司を見る京子の眼差しには、哀訴の光があった。戦意を無くしていることは明らかだった。 京子を正面から後ろ手に押さえ付けているので、彼女の顔が鼻に触れんばかりの位置にある。謙司の頭の中が一瞬真っ白になった。彼は遮二無二に京子の唇を奪った。近くの木の枝にいたサルが気配に驚いて逃げ出し、大型の野鳥が奇怪な鳴き声を残して、枝葉を揺るがせながら飛び去って行く。謙司がそのまま狂熱の嵐に翻弄されるに任せて想いを遂げようとした時、突然舌に激痛を感じた。京子が噛み付いたのだ。彼は、反射的に京子を放して飛び退いた。



第1回 第2回 第3回 第4回
LINE

サマーデイズ 第22回

LINE

 京子は、謙司を凝視していた。その表情は、肉食獣に追い詰められて捨て身の反撃に出た小動物のようだった。
 彼が半ば無意識に右手を舌に宛てがうと、甲に鮮血が滲んだ。
(このアマ!…)
 彼がそう思って京子を見ると、彼女は木の幹を背にしたまま、一層身を固くした。それは、京子が男を目の前にして初めて感じた怯えであった。
 その様子を見て、謙司の心にふと憐憫の情が兆した。彼は、怒りと劣情、そして人間性とが激しく心に渦巻くままその場に立ち尽くしていたが、やがて京子から目を外らせて、どっかとその場に座り込んだ。
 蝉の大合唱の中に、二人のぜいぜいという息がいやに大きく響いている。
 言いようのない決まりの悪さを打ち払うように、謙司はぎこちなく口を開いた。
「九仭の功を一簣に欠くってやつだな」
 京子には意味が分からない。謙司がもう一度彼女のほうへ目を向けると、京子は再び顔を強張らせた。
「もう何もしやしないって」
 謙司が息を荒げたまま言うと、京子は身を固くしたまま、それでも少し安心したのか、ようやく口を開いた。
「あんた、欲張り過ぎよ。キスぐらいって言ったはずよ」
「そうだったな」
 謙司は冗談めかして苦しげに笑い、それからおもむろに立ち上がって、先程京子が放り捨てた短剣のほうへ近付いた。
 彼は、青龍刀を寸詰まりにしたような形の、刃渡り四十センチほどのその刃物を手に取って見た。
 それは、日本刀と同様の鍛えが施してあるのだろう。真っ直ぐな刃文を持つその刃はきめが粗く、折りからの木漏れ日を受けて凶々しく輝いた。京子がこれを放棄してくれたから良かったものの、もしそうでなければかなり面倒なことになっていただろう。無傷で済んだかどうか、全く分かったものではない。


第1回 第2回 第3回 第4回
LINE

サマーデイズ 第23回

LINE

 謙司は、京子のほうへ向き直った。
「これを捨てたのは間違いだったな」
 京子は、急所を突かれたように思った。確かに、山村武術を修める彼女にとってその短剣は゛魂″同然のものであり、いかに作戦上のこととはいえ、それを放り捨てるなど常ならば考えられぬことだ。戦う前から、彼女の心には狂いが生じていたのである。
「あんたを怒らせるためよ」
 謙司は構わずに続けた。
「鞘に収めていれば、揉み合いの最中にこいつを抜くことも出来た。そうすりゃ、俺も舌を噛まれずに済んだってわけだ」
「あんたに奪われる可能性だってあったわ」
 苦し紛れの言い訳をする京子の前に片膝を付いて、謙司はその刃物を彼女に返した。京子はそれを鞘に収めた。おずおずとした仕草だった。
「そんなもん、神棚にでも飾っておいたらどうだ」
 謙司は、再び横向きにあぐらをかきながら言った。京子はためらうように考えていたが、やがて謙司のほうを向いた。
「ねえ」
「え?」
「さっきの言葉、どういう意味?」
「どんなに苦労して積み重ねた大仕事も、最後の詰めを怠ると一辺におじゃんになるって意味さ」
「大仕事?」
「そうさ。てこずったぜ」 京子がフッと笑ったのに謙司は意表を突かれた。
「あんた、とんだ赤恥かくとこだったね」
 彼は、怪訝そうに京子を見た。
「何で?」
「これ、どうやって脱がせるか分かる?」
 謙司は改めて、彼女が身に着けている奇妙な衣服を見た。
「秘伝の術でも使わなきゃ脱げないのか?」
 彼は精一杯の皮肉を言った。気持ちが落ち着いてきたのか、京子はゆっくりとした仕草で手首と肘を揉みほぐしている。
「やり方知らないと、ちょっと無理ね」
 彼女は得意げに言った。その様子を見て、謙司は戸惑わないわけにはいかなかった。このコは「被害者」のはずなんだが…。
「ガ−ドが固いな。君がそんなに強くなったのも、操を守るためかい」
 謙司は、気持ちを紛らすように言った。
「あたしを喧嘩で負かす男がいるとは思わなかったな」
 京子の顔にはゆとりが戻っていた。


第1回 第2回 第3回 第4回
LINE

サマーデイズ 第24回

LINE

「女には君に勝つコがいたのかよ」
 謙司はまぜっ返したつもりなのだが、彼女はお構いなしに親しげな表情になって行く。
「あんた、名前何ていうの?」
「君の名前を先に教えろよ」
「あたし、京子。森沢京子」
「…俺は望月謙司だ」
「謙司!」
 彼は京子を見た。彼女が相好を崩していたので、謙司は内心たじたじとなった。彼はたった今、この娘を手籠めにしようとしたばかりなのだ。
「いきなり呼び捨てとは、ぶっとんだお嬢さんだな」
「あんたの舌、食っちまえばよかったな」
「人食い女かよ」
 二人は連れ立って、けもの道のような細い山道を下った。
「その服…、まさかそれ着て街へ繰り出すわけじゃあるまいな」
「まさか」
 京子は笑った。
「何の武術だい。動きがやたらと凶々しくて、只の道場拳法とは思えない」
「田舎臭いって言いたいわけ?」
「まあ、そう言うな。聞けば各地の山村には、昔から自衛のための武術が伝えられてるって話だが、その一種?」
「そんなとこよ」
「もう随分長いことやってるんだろう?」
「十二の時からだから、もう五年ね」
「てことは君、十七才か?」
 謙司は少々驚いて京子の顔を見直した。自分と同い年か、もしかしたら年上かと思っていたのだ。引き締まった顔付きをしているので、実際の年齢よりも上に見えたのだろう。
 京子はたちまち眉を吊り上げた。
「意外そうね。あたしって、そんなにババアっぽいかしら?」
 彼女が予想外のきつい表情をするので、謙司は言い訳をした。
「いや、ちょっと大人びて見えただけさ。そう怒んなって…」
「怒るわよっ!もう一丁勝負するか?」
「待った待った、そいつは願い下げだ」
 すげえ迫力だな。謙司は一辺に汗が引く思いだった。