Creator’s World WEB連載
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サマーデイズ 第17回

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 言うが早いか、京子は謙司の眼前からかき消えた。小道をさらに上のほうへ、何の障害物もないかのような素早さで駆け上がって行く。信じ難いほどの敏捷さに、後を追う謙司は舌を巻いた。まるで山猫だ。
  謙司はたちまち京子を見失った。血走った目で辺りを見回す謙司に向けて、突然、鋭い声が突き通すように響いて来た。
「やい!東京の生ッ白いの!サオ切り取ってやろうか!」
(なにを!)
  いつになくいきり立った謙司が前方を見上げると、小道から少し外れた大木の枝の上で、全くバランスを崩さず仁王立ちになって、傲然と謙司を見下ろしている京子の姿があった。
  彼が咄嗟に足元に落ちている小枝を拾ったのを見て、京子は声を立てて笑った。可笑しさをこらえ切れぬという笑い方だ。
「おのれ!」
  謙司が小枝を投げ付けたのを易々と躱すと、彼女は枝から飛び降りて、一ノ谷の逆落としのような勢いであっという間に斜面を駆け下り、下に流れている谷川の川原に立って、謙司のほうを見上げた。
(俺と勝負する気だ)
  慣れぬ足取りで川原へ下りる謙司の体を、汗が滝のように流れた。その中に、はっきりと冷汗が混じっている。
  女とはいえ、手強い相手だ。これまで、他流試合や街中での゛実戦″は幾度か体験してきた謙司ではあるが、こんなケモノ同然の相手は見たことがない。自分でも訳の分からぬ狂熱に取り付かれるままに京子を追って来た彼の胸中に、深追いしたかという思いがふと過ぎった。



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サマーデイズ 第18回

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  川原へ下り立つと、京子は謙司を見据えていた。自分が優位にあると思っているのか、彼女の口角に
は薄い笑いが浮かんでいる。突然、京子は川へ向かって走り出した。謙司が流れの中程で追い付きかけると、京子は振り向きざま、いきなり右の手刀を放ってきた。謙司がそれを外受けでブロックするが早
いか、京子は謙司の懐に飛び込んで、左の膝蹴りをレバ−に叩き込んだ。息を詰まらせる謙司を尻目に、京子は反対側の川原へ渡ろうとする。謙司は前かがみのまま追い縋り、彼女の腰に後ろから組み付いた。二人はそのまま縺れ合って流れの中へ倒れ込み、ばしゃばしゃと激しい水しぶきを上げて、組んずほぐれつの取っ組み合いになった。京子は作戦を変更していた。あれほど走らせた割には、この東京者はそれほど体力を消耗していないし、第一、咄嗟に甲利の急所を押さえて窮地を脱するあたり、やはり只者ではない。京子は、木立や下草によって阻害されることのない、この東京者の生の実力が見たいという思いに駆られたのだ。そのために格好の場所がある。なんとかそこまで彼を引きずり込まねばならない。負けるかも知れないが、それならそれで良い。自分を負かす男が一人ぐらいいても良いのだ。
  やっとの思いで謙司が流れの中で京子を仰向けに押さえ付けて馬乗りになった時、いきなり彼女は、
水しぶきとともに下半身を跳ね上げた。信じ難い強靭さだ。謙司はまともに宙を舞って流れに突っ込んだ。起き上がりざまに京子が左のハイキックを振って来たのをブロックして、その衝撃の強さに彼は驚いた。女の脚力とはまず思えなかった。彼女はそのまま反対側の川原へ駆け上がって、その端に迫る原生林の中へ飛び込んで行った。謙司が追い付いて見ると、林の中に、下草が刈り払われて木が倒され、土が平らにならされた十メ−トル四方ほどの広場が現われた。京子が自分で切り開いてこしらえた秘密の稽古場だった。
  ずぶ濡れの京子は、゛道場″の中央に立って謙司を見据え、雫をしたたらせながら有無を言わせぬ戦いの気構えを見せている。彼が一定の間合を保ったまま様子を見ていると、京子はやおら短剣を抜き、逆刃に持って低く構えた。刃先が相手に向く威圧感を計算に入れた構えらしい。


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サマーデイズ 第19回

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  強烈な戦意を露にしたその構えを見て、謙司はえぐられるような緊張を覚えた。街中で「刃物持ち」を
相手にしたことはあるが、この娘はそんな手合いとは桁違いの実力を持っているのが一目で分かった。彼女から放たれている殺気は本物で、この娘は本当に謙司を斬るつもりでいる。
  謙司は戦慄を覚えた。刃物を持ったこの娘は、彼がこれまでに戦った相手の中で最強に違いなかった。
  京子は、そんな謙司の怯みを見て取ったか、構えていた短剣をゆっくりと肩の位置まで上げ、口の片端を吊り上げた笑いを浮かべて後方へそれを放り捨てた。これは使わないであげる、ということらしい。
  この時初めて、謙司の心に鬱勃たる怒りが込み上げてきた。いくらなんでも、ここまで女にコケにされては真剣にならざるを得ない。彼は左半身に構えると、徐々に間合を詰めた。
  京子は慄然とした。十分に脇の締まったこの東京者の構えから、沸騰する蒸気に似た気配が襲ってきて、一辺に京子を呑み込んだ。ぶわっという音を肌で感じたような気さえした。これまで、戦いの最中に敵の気勢に怯んで後退ったことなど一度もなかった京子が、今それを強いられている。
(あたしの目に狂いはなかった)
  彼女がそう思った瞬間、謙司のロ−キックが一閃した。それは呆気なく京子の左太股に命中し、彼女はもんどり打って倒れた。彼女はショックのあまり、一瞬呆然となりかけた。
「お、おい…、大丈夫か!」
  うろたえて近寄る謙司を、京子はいきなり険しい目で睨み上げた。
「手加減したな!?」
  京子は、かがんだままの姿勢からいきなり飛び蹴りを放った。辛うじてそれをブロックしてバランスを崩した謙司に、京子は猛り狂ったように襲い掛かった。


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サマーデイズ 第20回

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  よく見えるロ−キックだった。いつもの京子なら、躱しもせずにカウンタ−を放ち、一気に勝負を付けていたろう。それが出来なかったのは、この東京者の気迫に呑まれて身が竦んでいたためなのだ。おまけに、この男は明らかに手加減していた。
  怒り狂った京子は、左右のあらゆる手技足技を、上段から下段にいたるまで機関砲のように乱射した。体を目まぐるしく回転させながらのその猛攻に、謙司はたちまち防戦一方となった。女とも思えぬその膂力とスピ−ド、何よりもその気勢の激しさに謙司は目を見張った。進元流空手でいえば、茶帯クラスの者では歯が立たないことは確実だ。まずは初段、それも゛黒帯が似合い始めた″レベルの者でなければ、互角に渡り合うことすら覚束ないだろう。茶帯とは言っても、進元流のそれは伝統的な寸止め派の空手の三〜四段、実戦派の他流でも初段クラスの実戦力があるとされているのである。女の身で、それもこの若さでこれだけの実力を持つとは、奇跡に近いとも言えた。
  京子は、これまでどんな男も躱せなかった自分の蹴りが、一発も命中しないことに愕然としていた。
身長170センチ程度のこの東京者は、見た目よりも遥かに懐が深く、彼女が矢のように放つ蹴りは、ほんの数センチのところでことごとく見切られて呑み込まれてしまう。
(…負ける!この男があたしを…!)
  謙司のロ−キックは、気迫だけは真剣だったが六分の力だった。全力で、それも下段ではなく中段に叩き込んでいたら、肋骨を数本砕いていたろう。女を相手に、誰がそこまでやるものか−
  京子が、嵐で吹き飛ばされた風車のように左のハイキックを放ったのを肘でブロックしながら、謙司は彼女に組み付いて両手首を掴み、そのままバンザイの姿勢を取らせて押し込んだ。その全身に躍り狂う筋力の激しさに、彼は改めて舌を巻いた。浩二や洋平など、この娘にかかったらひとたまりもあるまい。ウェイトトレ−ニングで百キロ台のバ−ベルを楽に挙げる謙司の力があればこそ、京子に無理矢理後退を強いることが出来るのだ。