言うが早いか、京子は謙司の眼前からかき消えた。小道をさらに上のほうへ、何の障害物もないかのような素早さで駆け上がって行く。信じ難いほどの敏捷さに、後を追う謙司は舌を巻いた。まるで山猫だ。
謙司はたちまち京子を見失った。血走った目で辺りを見回す謙司に向けて、突然、鋭い声が突き通すように響いて来た。
「やい!東京の生ッ白いの!サオ切り取ってやろうか!」
(なにを!)
いつになくいきり立った謙司が前方を見上げると、小道から少し外れた大木の枝の上で、全くバランスを崩さず仁王立ちになって、傲然と謙司を見下ろしている京子の姿があった。
彼が咄嗟に足元に落ちている小枝を拾ったのを見て、京子は声を立てて笑った。可笑しさをこらえ切れぬという笑い方だ。
「おのれ!」
謙司が小枝を投げ付けたのを易々と躱すと、彼女は枝から飛び降りて、一ノ谷の逆落としのような勢いであっという間に斜面を駆け下り、下に流れている谷川の川原に立って、謙司のほうを見上げた。
(俺と勝負する気だ)
慣れぬ足取りで川原へ下りる謙司の体を、汗が滝のように流れた。その中に、はっきりと冷汗が混じっている。
女とはいえ、手強い相手だ。これまで、他流試合や街中での゛実戦″は幾度か体験してきた謙司ではあるが、こんなケモノ同然の相手は見たことがない。自分でも訳の分からぬ狂熱に取り付かれるままに京子を追って来た彼の胸中に、深追いしたかという思いがふと過ぎった。 |