Creator’s World WEB連載
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第1回 第2回 第3回 第4回
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サマーデイズ 第13回

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 飛び石にされた浩二は、その芋虫をつまみ上げると、道代の鼻先へ突き出した。
「いやん、もう!やめてよ!」
  道代は謙司にしがみ付いたままで、反対側へ逃げた。
「こりゃいいや、芋虫が取り持つ縁ってね!」
「どうだ゛我輩″、気分いいだろ!」
  その時謙司が、芋虫をつまんでいる浩二の右手首を掴んだ。
「やめろ。無駄なことだ」
  彼の口調は、穏やかだが断固としていた。それは浩二と洋平より、むしろ道代に向けての言葉だった。
  浩二は、ふいに真顔になって芋虫を草むらに放り捨て、両手を腰に当てて謙司に向き直った。どうやら本当に怒っているらしい。
「おい゛我輩″、ちょっと不粋が過ぎやしねえか?」
「そうだよ、道代の気持ちが分からねえのか?冷血動物かよ、お前!」
  洋平が、浩二の後を受けて謙司に詰め寄る。
「要らん世話を焼くな!!」
  謙司は有無を言わせず言い放った。凄まじい気迫だった。その気勢に怯んだのか、浩二と洋平は、謙司にガンを飛ばすような目付きのまま押し黙ってしまった。
  謙司は、彼にしがみ付いたまま凍り付いたようになっている道代のほうへ向き直った。ぎこちない微笑を浮かべながら彼女の両肘に手を宛てがい、そっと押しやって彼から離した。精一杯優しくしたつもりだ。
(これで、俺の気持ちを分かってくれれば…)



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サマーデイズ 第14回

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 道代から目を外らせてその場を立ち去ろうとした時、謙司はもう一つ別の、いやに灼け付くような強い視線を感じて立ち止まった。
  見ると、田圃の向こう側のもう一本の畦道に、いつの間に現れたのか、例の猫顔の娘が立って、獰猛な気配を放ちながらじっと謙司を見据えている。
  彼が驚いて体の正面を向けると、娘の顔に薄い笑いが一閃した。驕慢と野性が鞘走るような笑みだ。駅前で見た時よりもずっと近い位置にいるので、彼女の優れた姿形がいやでも謙司の網膜に食い入って来る。
  娘は相変わらず、長い髪を馬の尾のように束ねていた。大きな目は切れ上がり、唇が赤く光っていて、恐ろしいほどの美貌である。
  いやに熱苦しい緊張感が張り詰めているのに気付いた洋平が、浩二に囁き掛けた。
「おい、あれさっきの…」
「何よ、あの恰好…」
  道代が呆れたような声を出したが、その顔は強張っている。
  娘は、山賊のようないでたちをしていた。手首の部分を強く絞った鼠色の上着に、何かの動物の革で出来ているらしいスラックス状の胴着、さらに地下足袋のようなものを穿き、腰には鞘に収めた短剣を差している。戦闘服の一種らしいことは一目で分かった。
  謙司は、息を呑んだように娘を凝視していた。胸のざわめきが一段と強くなっている。彼女の眼光は射るようで、烈しい視線同士がお互いの目を刺し貫いていた。娘が一旦謙司から視線を外らせて農道のほうへ二、三歩行きかけ、再び彼を見た。彼女の目の光が一段と強くなっている。来い、と誘っているのだ。
  謙司の胸のざわめきはたぎりへと変わった。十五メ−トルほど離れて平行している畦道を、娘と謙司が農道に向かって走り出したのが同時だった。脱兎のごとき勢いである。残された三人は、呆気に取られて二人の後ろ姿を見送るばかりだ。
  娘と謙司は、同時に農道へ飛び出した。一瞬目を合わせると、二人は同じ方向へ全力疾走を開始した。先行する娘を、謙司が激しく追う。二人はその先にある四辻を左に折れて、山の麓へと通じる細い農道を、土煙を上げながら一散に駆けて行った。


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サマーデイズ 第15回

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 突然追い掛けっこを始めた二人を見て、取り残された三人は突っ立ったまま、風に吹かれて泳ぐ こいのぼりのような顔になった。
「なんかあったワケ、あのコたち?…」
「知らね……」
  目前に迫る山間へと通じる農道を、京子は韋駄天のごとく疾走した。百メ−トル十一秒台の謙司 の足をもってしても、三十メ−トルほどの差は一向に縮まらない。
  道は、低い山々のなだらかな斜面が複雑に入り組んでいる所をさらに奥のほうへ延びている。右 側にはまだ畑が続いていたが、左側は山の斜面の原生林が迫り、生い茂る木々の枝が道の上空を半 ば覆っていた。
  尚も数分間スピ−ドを緩めることなく走っていた京子は、突然左側の原生林に飛び込んだ。謙司 がようやくそこへ到着してみると、下草を踏みならしただけの小道が中のほうへ延び、彼女は既に びっくりするほど奥のほうへ駆け上がっていて、斜面の木々の間に消えようとしていた。
  謙司も中へ踏み込んだ。娘がどういうつもりなのかと警戒心を起こす余裕はなかった。ただ闇雲 なたぎりの赴くままに、一刻も早く娘を捕えたいという想いだけに支配されている。
  スコ−ルのような蝉の大合唱が、枝という枝を揺るがすかのように響いた。娘の姿は既に見えな くなっていたが、この小道沿いに上がって行ったことは分かっている。謙司は呼吸を整えながら、 下草に足を取られぬよう注意深く進んだ。
  京子は、中腹にある一際巨きな木の枝の上で、幹に身を隠すようにしながら、下の小道を通るで あろう謙司を待ち伏せしていた。
  彼女は、最初に一目見た時から謙司の力量を警戒していた。これまでにない相手と踏んで第一級 の喧嘩仕度を整えた上に、彼女の最も得意の土俵である山中での勝負を挑むことにしたのだ。


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サマーデイズ 第16回

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 まず走らせるだけ走らせて体力を奪い、その直後に山中へ誘い込む。不慣れな山中を右往左往さ
せれば、あの東京者はさらにスタミナを消耗するに違いない。その間、彼女は木の上で休息を取っ
ておいて、一気の勝負に出るという作戦であった。謙司が彼女の戦略にまんまと嵌まってくるのに、
京子はほくそ笑んだ。
  蝉の大合唱の中に人の気配がするのに気付いて、京子は息をひそめた。見ると、例の東京者が覚
束ない足取りで小道を上がって来る。あれで十分周囲に気を配っているつもりなのだ。
(やっぱり、ちょっとトロいかな)
  もしも逆の立場なら、京子は既に、樹上に隠れている敵の存在を察知していたことだろう。
  謙司が真下を通るところを見計らい、彼女は音も無く枝に両手を宛てがって、ふわりと身を躍らせた。
枝にぶら下がったままで、いきなり謙司の首に背後から両脚を巻き付け、力いっぱい上へ吊り上げ
たのだ。急襲された謙司はたちまち苦悶し始め、爪先立ちになって彼女の両脚を必死にふりほどこうとする。
  真の合戦ならば、飛び掛かりざま一刺しに仕留めるまでだが、まさかそうは行かない。遊びのよう
な方法ではあるのだが、彼女の脚力は強烈を極める上に効果的な締め方をしているので、謙司の意識
は早くも遠ざかり始めた。
「クックック!…」
  薄く笑いながらすらりと短剣を抜いて、絞め殺される鴨のようになっている謙司の顔へそれを振り
下ろそうとした時、京子は突然左足の甲に激痛を感じ、ぎゃっという悲鳴を上げながら小道の傍らの
下草へ投げ出された。足の甲の中程に甲利と呼ばれる急所があって、謙司はそこを力いっぱい握り絞
めたのだった。
  京子はバネ仕掛けのように身を起こすと、短剣を構えて謙司のほうへ向き直った。首をさすりなが
ら息を荒げている謙司は、それを見て目を剥いた。何が起こっているのかようやく分かったような顔
をしている。
「お前、そんなもん!…」
  本当にそれを突き立てるつもりなどもとよりなかったが、謙司の顔の直前で寸止めにすれば、それ
で京子の勝ちだった。だが、そうはならなかったことを彼女は内心喜んでいる。
「少しはやるね。あたしに勝ったら、キスぐらいさせてやるよ!」