Creator’s World WEB連載
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第1回 第2回 第3回 第4回
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サマーデイズ 第9回

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 京子は、土と砂利の山道を排ガスを残してゆっくりと走り去るバスを、道路の中央で仁王立ちになって見遣り続けた。その若者が、気になるのかバスのリアウィンドウ越しにこちらを振り向いているのが見える。 京子は、躍るような挑戦欲と闘争心とは別のものが胸の内に兆していることに気付いて、微かな戸惑いを覚えた。が、それが何なのかを詮索するより、今はとにかくあいつに勝負を挑むことが先決だ−
(何だ、あの女は。俺の顔に何か付いてたのか?)
 謙司は、原井戸へと向かうバスの中で、次第に小さくなって行く猫に似た顔のその娘を、最後部のシ−トからリアウィンドウ越しに見ながら、怪訝な思いでいた。彼女は、道路の真ん中に突っ立って腕組みをしたまま、圧迫するような目付きで謙司を見据え続けている。女とも思えぬポ−ズだ。
 彼は向き直ってシ−トに座り直したが、いよいよ緑深くなって行く窓外の景色は、既に目に入らなくなっている。
 初めて見る顔だった。その直前に何かあったわけではない。あんな、射抜くような眼差しを向けられる筋合いはないのだ。
 謙司は不審さを募らせたが、それが不快さとは違ったものであることが一層不思議だった。彼の心は、点火した発煙筒の煙が充満したような状態になった。その奥のほうに、何かざわめくものがある。
(この土地の女か?都会者が珍しいのかな)
 謙司はそう思おうとしたのだが、ここにいる一団全員が見るからに都会者のいでたちをしているではないか。それなのにあの娘は、明らかに彼だけを見ていたのだ。
(一体何なんだよ、あの女…)



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サマーデイズ 第10回

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 急で狭い山道を三十分ほど登った所に、原井戸のバス停があった。
 そこはさすがに山里と呼ぶに相応しい所だった。原井戸の集落は、未舗装のバス通りに向かって開かれた扇状地のような地形がいくつも入り組む形をしていた。扇の要の奥のほうへ向かって、水田や畑が緩やかな段々状を成しており、その周りを取り囲んでいる低い山並みの右手奥のほうに朝間山が見えている。
 ざっと見渡したところ、十数軒の農家が、山並みの麓や中腹の部分に散り散りに点在していた。
 田代山荘は、この集落の一番奥にある。それは元々農家なのだが、その一部を、ほとんど手を加えず民宿に転用したものだった。
 農道から分かれている小道を上って行くと広い前庭があり、奥に茅葺きの大きな母屋がある。
平屋ではあるが、一見して東京の一般的な民家の数倍の大きさがあった。母屋の右手には棟続きの家畜舎があり、その手前には別棟の小さな便所が見える。さらに母屋の左手には、一見したところ倉のような白壁の建物があった。
「おい遊崎」
 浩二は、旅行の幹事である遊崎康志に呆れ声で言った。
「ちょっとひなび過ぎじゃねえの?」
 他のメンバ−も皆、物珍しさと不安からか、相互に顔を見合わせるなどしている。
「気に入ったか?」
 遊崎は、涼しい顔で皮肉を言った。
「気に入ったも何も、夜になって妖怪とか出やしねえだろうな」
そこへ山荘の主人、田代源三が出迎えに現れた。五十がらみの、見るからに屈強なオヤジである。
「よう、よく来られた」
 遊崎は居住まいを正した。
「あ、予約しておいた東京の…」
「双葉学園高等部御一行様だったな。今日から三泊四日と。まあ上がってゆっくりされるがいい。
じきに飯の用意も出来るでな」
「あの、ちょっと質問が…」
 浩二が言いかけたのを遊崎が受け継いだ。
「いやオヤジさん、こいつはさっきから…」
「妖怪なら始終出るが、途中で逃げ帰っても払い戻しはせんからそう思え、クックック」
 源三の軽口が冗談に聞こえなかった一行は、引きつった失笑を漏らした。それを見た源三は、もう一度喉を鳴らして笑った。


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サマーデイズ 第11回

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 昼食後、謙司は近くの水田の畦道に片膝を付いて、陽の光を受けて輝く稲穂を一人眺めていた。
他の一行は既に思い思いの自由行動を開始していて、謙司一人が仲間外れになったような形だったが、そのことを気にかけていたわけではなかった。
 例の猫顔の娘と駅前で目が合った時から、゛発煙筒の煙″と胸のざわめきがずっと続いていたからである。彼女の視線の痕跡が、今も尚彼の目の奥に食い込んでいるような気がした。そのせいで、山荘のおかみの心尽くしの昼食の味もろくに覚えていない。
 山の中は涼しかろうという謙司の予想に反して、灼け付くような暑さだ。辺りを覆う蝉時雨は引きも切らず、田圃を渡る微風が稲の香を含んでいて、謙司の鼻をくすぐった。
 ふと人の気配に気付いて傍らを見ると、道代がしゃがみ込んでいて、微笑しながら彼の顔を覗き込んでいた。そのことを計算に入れたわけでもあるまいが、彼女は風上にいて、蠱惑的な甘い香水の匂いが彼の鼻をついた。
「君か」
 謙司は一旦道代のほうへ目を遣ってから、田圃へ視線を戻した。
「ねえ望月くん、あたしってそんなに目障り?」
 自分の魅力に十二分の自信を持っている口調だった。
 彼女は、肩から胸元までが露になった黄色いタンクトップにショ−トパンツといういでたちだった。
程よくふくよかな二の腕、豊かな胸に鎖骨の辺りの起伏の加減、さらに腰から太股にかけての曲線など、申し分なく官能的であった。長い髪が肩甲骨の下まで伸びていて、茶色に染めるような馬鹿な真似さえしなければどんなに、と思わせるほどの見事さである。
「目障りとは人聞きが悪いな。もっと別の言い方があるだろう?」
「同じ意味で?」
「……そうだ」
 謙司は道代のほうは見ずに言うと、立ち上がってゆっくりと畦道を奥へ進んだ。実は、十七才の
小娘とも思えぬその゛女の匂い″にくらくらしそうなのだ。


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サマーデイズ 第12回

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 道代はフッと笑いを浮かべ、構わずに彼の後を追う。道代を引き離すどころか、ますます彼女の
放ったクモの巣のような投網にかけられて行くような気がする。
「ねえ、これ見て!」
 彼女がふいに声を上げた。見ると、畦道の傍らの草むらに、一群の小さな花が咲き乱れている。
「きれい!…」
 薄い紫色のその花々を、彼女は喜々とした顔で見入った。
 謙司は、道代をふと見詰めた。とかくの噂はあっても、こうして見ると当たり前の一人の娘では
ないか。彼の心にほのかな揺らぎが生じた。
 そこへ突然、浩二と洋平が騒々しく舞い込んで来た。
「いよっ、お二人さん!」
「見せ付けてくれるじゃんかよ!」
 謙司と道代は我に帰った。この時謙司の心に、そんなはずはなかったのだが軽い失望が過ぎった。
「ヘッヘッヘ、こりゃとんだ野暮な三枚目だったかな?」
浩二が冷やかすように言うと、道代はたちまちキッとなった。
「それが分かってんなら、とっとと消えなさいよ」
 子分に命令する姐さんのような口調だ。浩二は構わずにはやし立てた。
「まだ真昼間だぜェ。こんな明るいうちからさかりつくこともねえだろ?」
「そうそう!第一゛我輩″はヨ、」
言いながら洋平が、黙ったままの謙司の肩を抱くようにした。
「恋のイロハは見当付かぬでね、俺達がコ−チしてやんなきゃあ!」
「ヒャッハッハッハッ!」 
 その場に割り込んだ二人が勝手に騒いでいると、道代が突然キャッと悲鳴を上げ、目の前にいる
浩二を飛ばして謙司にしがみ付いた。見ると、草むらの一本の茎に大きな芋虫が止まっている。
「ヘッヘッヘッ」