Creator’s World WEB連載
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第1回 第2回 第3回 第4回
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サマーデイズ 第69回

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「これ、持ってるね」
京子はうきうきした口調で言いながら、謙司の手から綿飴を取って少し離れたところに立った。若者の一団と謙司の双方を、彼女は面白そうに見比べている。
眉を八の字に寄せてこわい顔をしているハッピ姿の子分達が、肩をぶつけんばかりにして謙司を取り囲んだ。
「おうお、京子のイロだってえからどんな奴かと思やあ、綿飴より生ッ白いぜ」
「ナメナメしてやろうか、坊や」
「京子、おめえこいつを家来か奴隷にしたんだろう」
「ムチの跡でもついてねえか?」
「素っ裸にひん剥いて調べてやろうぜ」
「ついでにキンタマが付いてるかどうかもよ」
「ガッハッハッハ!」
自分達には手の届かない女だと分かっていても、京子が美しく悩ましいことには変わりがない。それをこともあろうに見ず知らずの他所者に盗られたとあっては、彼らの腹の虫が収まらないのも無理はなかった。
「笑わせるぞ」
謙司は重い口を開いた。
「十才の子供のほうがよっぽど強そうだな」
子分達が、たちまち色をなして謙司に掴み掛かろうとする。
「ナンだ、テメェ!」
「ナメンなよ、オラ!」
真っ先に胸ぐらを掴もうとしたノッポを、謙司はぎらりと睨んだ。もともと虫の居所がよくない彼のうちでたぎり返ったものがあっという間に周囲を覆い尽くして、そのノッポばかりか他の数人までもがその場に立ちすくんでしまった。
眼光一つで子分達を黙らせた謙司を見て、進吾は得心がいく思いがした。只のネズミではなかろうと思っていたが、その通りらしい。



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サマーデイズ 第70回

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「察しはついてるだろう。それなら話は早い。ちょっと顔貸してもらおうか」
進吾が顎をしゃくって謙司を本殿の脇へ誘おうとした時、綿飴を食べながら見物していた京子がふいに声をあげた。
「進吾!その人、強いよ」
よく言うよ−強いと言われるのが、今の謙司にはむしろいまいましい。だが進吾にとっては、胸をえぐるように残酷な京子のダメ押しだった。それでかえって、進吾はきれいさっぱり、潔く闘い切ろうと肚を決めた。
本殿の脇と鎮守の森の間に、祭の喧騒から急に隔離されたような手頃な広場がある。進吾と謙司はそこで対峙した。
喧嘩が始まると聞いて集まった野次馬達が、人垣となって遠巻きに取り囲んだ。その中には、二人の勝敗を巡って賭けをしている者たちもいる。
(ったくもう、はなからこうなるのが目当てだったな)
謙司がちらりと見遣ると、京子は二つの綿飴で顔を挟んで、クスッと笑った。
「俺が勝とうが負けようが、お前ら手ェ出すんじゃねえ、いいな!」
進吾は離れて立っている子分達に命じると、謙司のほうへ向き直って祭半纏を脱ぎ捨てた。
「四の五のごたくは言わねえ。行くぞ」
そう言うなり、進吾はサウスポ−の構えを見せた。両腕で顔面の両脇をカバ−する、キック・ボクシング風の実戦的な構えだ。
バカバカしいと思いながら謙司は、もしも明夫だったら、と考えずにはいられなかった。
こういうことになる前に決着が付いていたのではないだろうか。なにしろ、明夫の全身全霊が放つ精気は、ヤマヅチですら尻尾を巻いたほどの凄絶さであったのだ。この、進吾とかいうつよそうな若者など、ものの数ではなかろう。
そうか、明夫が相手なら腰を抜かしたかも知れないこの男が、俺が相手だと一片の怖れもなく向かって来るのか。
謙司は、見る見る頭に血が上った。左半身に構えて進吾を睨む目が血走っている。
謙司の勝利を信じて疑わなかった京子の綿飴を食う手が止まった。水を打ったように潔い進吾のたたずまいに対し、謙司はすっかり気が上ずり、頭から黒煙を上げんばかりだ。やみくもな力攻めに出ようとしているのが明白で、こうなると番狂わせも有り得る。
予想外のことの成り行きに、京子は顔を強張らせた。



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サマーデイズ 第71回

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この時、進吾に覆いかぶさるように十才ぐらいの少年の幻影が立ち現れたのを見て、謙司は息を呑んだ。
それは、血の気のない真っ白な顔をして、名状し難い目付きで謙司を見据えている。それはたしかに人間の眼差しではなかった。自分の命日に京子を横取りした恋敵に対する憎しみを、まるのままあらわにしていて正視に耐えぬほどである。
−貴様が明夫か!−
嵩にかかるような気になっていたところへいきなり冷水を浴びせられた形だ。肚の底が痺れるように冷えて危うく腰が抜けるところだったが、謙司は無理矢理勇を鼓した。
−亡霊が、京子を取られて悔しいか!−
明夫はゆっくりと口角に笑いを浮かべた。凄まじい傲岸不遜の表情で、貴様ごとき、と言っているようにしか見えなかった。
謙司の右の上段廻し蹴りが唸りを上げた。それは進吾の腕のカバ−もろとも顎に命中し、彼はうめき声も上げずにその場に崩れ落ちて昏倒した。
あまりの呆気なさに、野次馬達も子分共も唖然として静まり返った。京子だけが呑気に綿飴を舐めている。
「……野郎!」
「生かして帰すな!」
「やっちまえ!」
我に返った子分達が、雪崩を打って謙司に襲い掛かろうとした。
「慌てんなオタンコナス!!」
突然京子が一喝した。
「この人とあたしが二人で行ったら、あんたらなんか木っ端みじんだよ!」
子分達は戸惑ったようにその場に立ち止まってしまった。
「テメェらのダチがノビてんのに案山子みたいに突っ立ってんじゃないよ!」
持ち前の気性を剥き出しにして喚き立てる京子の顔は、なるほど化け猫にそっくりだった。
その迫力に圧されて躊躇していた子分達が、謙司に介抱されている進吾の元へ走り寄ると、彼はそろそろと上体を起こした。



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サマーデイズ 第72回

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「動かんほうがよくないか?」
正気に戻るのが早過ぎると思った謙司が両手で制しようとするのを、進吾は遮った。
「平気さ、こういうことはやりつけてるよ」
進吾は意外にしっかりした足取りで立ち上がった。左腕のガ−ドが、蹴りの衝撃をある程度緩和したのだろう。
「さあ散った散った、見世物じゃないよ!」
京子が野次馬の群を追い払う声が、景気よく響いている。
謙司と進吾は、本殿脇の手摺りに寄り掛かった。
「きれいにやってくれたぜ。ああ見事にやられちゃ二の句が継げんよ」
「勝敗は時の運さ」
明夫の白い顔を思い出しながら謙司が言うと、進吾は精悍に笑った。
「月並みなことぬかすな」
負け惜しみの風はなく、むしろ剛毅で潔い性格が窺える。
対戦中の彼の目は澄み切っていた。負けることを少しも恐れぬ相手は厄介だ。もしも謙司が力任せに雑な組手を演じていれば、勝敗は逆転していたかも知れない。
時の氏神のように明夫の霊が現れてくれたので、そうはならずに済んだ。
「憚りながら、俺は喧嘩は自信あったぜ。俺のやり方はな、頭をからっぽにしてガ−ンと行くんだ。勝とうが負けようが関係ねえ。気持ちに迷いがあると、後々後悔のネタになるからな」
−ホオジロザメが相手でもそうするかね?−
謙司はそう聞いてみたい気がしたが、喉元で抑えた。
「道理であんたはやりにくいと思ったよ」
「おめえの気合いが一枚上だったのさ」
その「気合い」が明夫に通じるだろうか。
もしも明夫と対決するとすれば、彼は当然、ヤマヅチを撃退した時のような凄絶な気の塊となって向かって来るに違いない。となれば、こちらもそれに見合う以上の覚悟をもって臨まなければ、彼を制することはおろか、対等に渡り合うことすら覚束ないだろう。
ホオジロザメの血まみれの歯が、謙司の脳裏をふと過ぎった。