Creator’s World WEB連載
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第1回 第2回 第3回 第4回
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サマーデイズ 第45回

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「昨日よりずっといいよ」
 約束の時間よりも少し早めに川原へ来た謙司は、既に来ていた京子を一目見るなり言った。
 彼女は相変わらず山賊の娘のような格好だったが、上着だけが違っていた。鼠色の長袖はさすがにやめて、緋色のノ−スリ−ブ状のものを着ている。
 暑苦しいサラシを巻いていないらしい胸のふくらみがなかなか大きい上に、剥き出しの両の二の腕が謙司の目に眩しい。唇の赤さが昨日より際立っているところを見ると、薄く紅を差しているようだ。
 短剣を今日も腰に差していたが、これは山の中で行動する際には必需品なのであろう。
「これさ、本当は包丁なの」
「嫁入り道具か?」
「包丁捌きはなかなかのもんなんだから」
「お手並み拝見といきたいね」
「後でじっくり見せるよ」
 昨日取っ組み合いを演じたその川原から、二人は谷川を遡行した。
 朝霧はすっかり晴れていて、空には雲一つない。昨日に輪をかけて暑くなりそうだ。辺りを覆う蝉の大スコ−ルで耳鳴りがするほどだ。



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サマーデイズ 第46回

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「だけど謙司、いいの?毎日勝手に自由行動してて。団体旅行なんでしょ?」
「日中は自由行動さ。それに、他の奴らも皆、事情は似たり寄ったりでね。第一、団体行動ってのは苦手なんだ、本当は」
「謙司一人だけあぶれなくて済んだんだ?」
「お蔭様でね。それに、旅行の予定なんて元々ないも同然でさ。今日も、仲間の何人かが逢魔ケ池を見物に行ったよ。俺が昨日、そこで大蛇を見たと言ったら、奴ら目の色変えやがってさ」
「あんなのだったら、この奥行くとゴロゴロいるのに。謙司、一匹捕まえて土産に持ってってあげたら?」
「それもいいが、それより大蛇の活き造りってのはどうだい?早速京子の包丁捌きの見せどころだぜ」
「本当に食いたきゃ、いくらでも造ってあげるよ、蛇の刺身。マムシの子を捌いて生で食うとうまいぞォ」
「いや…、そいつはちょっと考えさせてくれ」
「そっかァ、マムシの刺身はダメと。それじゃ、お昼のメニュ−考え直さないとなァ」
「おいおい、何を食わせる気だよ」
行くほどに谷川の川原は狭く険しくなって、両側から山の斜面の原生林が覆いかぶさるように迫っている。冷気が時折二人を包み込んで、多少凌ぎやすく感じられた。
「源三オヤジにいろいろ聞いたよ、逢魔ケ池のウナギのことだとか、山獅子のことだとか。ところがオヤジさん、ヤマヅチのことだけは話そうとしなかった」
「怖いのよ」
「やっぱりそうか。しかし、いくら何でもさ…」
謙司にしてみれば、ここの住人達がヤマヅチを恐れるのは、誇張された伝説を鵜呑みにしているせいとしか思えない。
京子はふいに立ち止まって、謙司のほうへ体を向けた。
「例の猟師ね、」
「ああ、ここを出て行った?」
「山木五郎次といってね、源三オヤジのいとこなの」
「そうだったのか」
京子は再び沢を遡り始めた。少し足早になっている。
「山木の家は代々猟師だったのよ。五郎次の三代前の三右衛門って人がね、明治の頃にヤマヅチを撃ち殺してるの」
「ほう」
「ヤマヅチって毒気が物凄いのよ。それに当てられると、骨の随まで竦み上がって身動き出来なくなるの」
「毒気ね」
「三右衛門はね、五十メ−トルぐらい離れたところからヤマヅチを撃ったんだけど、それでも身の毛がよだつほどだったそうよ」
「正面切ってのタイマンじゃなかった…」
「そんなバカなことする人、いないよ。ヤマヅチを仕留めたのはその三右衛門だけよ。それで彼は村の英雄になったけど、三代後の五郎次の代で、山木の家はこの村には住んでられなくなったわけ」
「ヤマヅチの祟りってわけでもあるまい」
「今じゃ村の年寄り連中なんか、ヤマヅチのことを口にするのも憚ってるよ」


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サマーデイズ 第47回

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「源三オヤジもそのクチか」
都会者の謙司には、京子の話は身に迫った実感がないのだが、案外本当のことかも知れないという気もし始めていた。
二時間余り遡ると、高さも幅も五メ−トルほどの低い滝があり、その上が大きな池になっていた。大方もとは只の川だったのが、土砂崩れか何かで流れがせき止められて、天然のダムを形成したのであろう。
昼までまだ多少時間があるが、既に空腹で目が眩みそうである。
「ちょうどいいや、そろそれ昼にしようか」
「そりゃ願ってもないが、エサはどこにある?マムシは願い下げだぜ」
「この池に特上のやつがうようよいるよ」
言いながら京子は、軽い足取りで池へ入って行く。腰の短剣をスラリと抜く仕草が、その刃の輝きとともに煌めいた。ぞくっとする気配を感じて、謙司は思わず視線を吸い寄せられる。
彼は言葉も発せずに、水面を音も立てずに移動する京子を見詰めていた。
岸辺からせり出した木々の枝の陰にさしかかった時、俄に京子の動きが止まった。彼女は腰をかがめて短剣を低く構え、水の中を凝視している。岸辺に立って見ている謙司も我知らず緊張したほどの集中力であった。
閃光のような動きで、短剣が水面を突いた。それを水中から跳ね上げる動きに乗って、銀色の魚体が弧を描いて謙司の足元に落ちた。水しぶきも殆ど立てなかった。彼が唖然とする間もなく二匹目が飛んで来た。三たび短剣が水面を突いた。しくじったと見るが早いか、京子はロ−キックを水面に刺し、三匹目を打ち上げた。
謙司は只、口をあんぐりさせるばかりだった。
彼女は結局四匹を獲った。いずれも四十センチ近くもある丸々と太ったイワナばかりで、二人で食うには十分な量である。
「凄えな。尺上イワナって奴じゃないか」
「言ったでしょ、特上だって」
タンパク質だけでは体に悪いと、京子は傍の原生林へ入り込み、ものの二十分もしないうちに山菜をごっそり採って来た。
イワナを枝に串刺しにして焼き、山菜を池の水でざぶざぶ洗ってかぶりつく。二人ともたらふく食って暫くは動けないほどであった。


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サマーデイズ 第48回

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京子の゛手料理″の昼食の後、二人は原生林の中をなお奥へ進んだ。
起伏がいつの間にかなだらかになってきたが、既に四時間は歩いて来たので、標高もかなりあるはずだ。傾斜が緩やかになるにつれて、木々の様相も穏やかになってきたように感じる。
前方でガサッと音がして、いきなり四つん這いのクマが現れたのに、謙司は肝を冷やして立ちすくんだ。生きた心地のしない謙司の傍で、京子は不思議なほど平然とクマを見た。
するとクマはこちらを一瞥しただけで、何を勘違いしたのかすたこらと走り去って行った。
謙司は、突っ立ったまま唖然としていた。
「見ろ、俺の言った通りだぜ」
「何が?」
「君を盾にすりゃ、クマのほうが驚いて逃げだすってね」
京子は苦笑した。
「この辺りじゃね、昔からクマが人を襲ったことはないの」
「へえ」
「お互いに棲み分けの領分を守ってるから、襲う必要なんかないのよ。だから、この辺の住人は誰もクマを怖がらないの」
「共存共栄ってやつか?だけど、そんな話は今まで聞いたことがない」
「クマだけじゃなくて、この辺じゃ農作物の鳥害や獣害、他所に比べると極端に少ないの」
「同じ理由でか?」