独自の専門領域を持つスペシャリストとして今年デビューした人々。

芸術、文化、芸能、その他の分野でデビューを飾った人々。

新しい試みや起業を行い、社会にお披露目した人々。

上記カテゴリーに関わる若い人たちをDebutantと呼ぶ。

1985年東京芸術大学大学院美術研究科修了。グラフィック、空間造形、映像、パフォーマンス、環境デザインなど様々な表現を駆使して活躍するビジュアル・アーティスト。80年代後半から国内外での展覧会、サイエンスミュージアムの設計、ピーター・グリーナウェイ「The Pillow Book」の映像美術、MUSIC VIDEO、CM、CIなどのほか、ユニクロのクリエイティブディレクターとしても国際的に活動している。ADC賞、TCC賞など受賞多数。主な著書に『タナカノリユキの仕事と周辺』(六耀社)など。

1968年大阪府出身。90年KRYZLER&KOMPANYのヴァイオリニストとしてデビュー。セリーヌ・ディオンとの共演で一躍、世界的存在となる。コンピレーションアルバム『イマージュ』の全国ツアーなどを含め、年間100公演を超える。また、J-WAVE『ANA WORLD AIR CURRENT』のパーソナリティーや画家としての顔も持っている。02年8月、アーティスト自身が自由に創作できるレーベル「HA TS」を設立。05年、映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネとの共演も実現し、新たなコラボレートが期待される。

1966年岡山県出身。2000年に自身のオフィス、株式会社ワンダーウォールを設立。インテリアデザインに加え、建築デザインディレクション、プロダクトなども手がけ、 独自のバランス感覚とデザイン構築力が国内外で高く評価されている。03年には、海外の出版社より初作品集となる『Wonderwall Masamichi Katayama Projects』が刊行された。

1960年東京都出身。上智大学卒業後、(株)伊勢丹に入社。バーニーズにてレディスバイヤー、その後伊勢丹の自主売場「解放区」「リ・スタイル」「BPQC」の立ち上げから運営まで手がける。2000年、伊勢丹退社後、皮革メーカーを経て老舗下着メーカー、大手スーパーマーケット衣料部門の再建などに取り組む。近著に『勝ちたければ現場をつかめ!』(きこ書房)、『藤巻幸夫のつかみ。』(実業之日本社)、『チームリーダーの教科書』(インデックス・コミュニケーションズ)。

1963年福岡県出身。自らも編集に加わる文芸『en-taxi』での4年間の連載をまとめた初の長編小説『東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン』(05年、扶桑社)が、06年「本屋」大賞を受賞。映画・TVドラマ化され、大ヒットとなる。『おでんくん』(小学館)『美女と野球』(河出書房新社)、『ボロボロになった人へ』(幻冬舎)「今日のつぶやき」(宝島社)など著書多数。06年10月には、安めぐみとのユニット“リリメグ”でCD『おやすみ』をリリースし、ミュージシャンデビューを果たすなど活動の幅は多岐にわたる。

選考基準

デビューを飾った若手クリエーター&アーティスト。特に2009年の活躍が、社会・文化、各業界に多大な影響を与え、今後の活躍が期待される人を各部門で選出。

選考方法

各界で活躍する選考委員(ボードメンバー)が、選考基準を満たした若手クリエーター&アーティストを推薦。MFUベストデビュタント選考会によって最終決定。

 

profile

1978年東京都生まれ。23歳のとき、顧客だったインポートのセレクトショップの販売員に。1年半勤めた後、別のブランドでプレスを2年間経験。準備期間を経て2008年、自身のブランド「Lelativement」を立ち上げる。取り扱い店舗は「エストネーション」など。

二面性を表現しながら
新しい女性像を提案する

 2008年にデビューしたまだ新しいブランド「Lelativement(ルラティブマン)」。ブランド名はフランス語で”相対性”という意味だ。デザイナーである矢野絢子さんは「相対的な観点から、新しい女性像をつくりあげていきたい」と、例えば”エッジ”と”エレガント”というように、女性の持つ「二面性」を多彩に表現する。エッジの効いたなかにもシックな品のあるデザインは、瞬く間に幅広い年齢層の女性たちから支持を得た。
 母親の影響もあり、子どもの頃からファッションに興味を持っていた矢野さんだが、専門的な勉強はしていない。「自分のブランドを持ちたい」との思いでアパレルの販売員からスタートし、プレスの職に就きながらチャンスを狙った。「デザイン画は今でも苦手。イメージを文字で書いたり、身振り手振りで伝えます」。ボタンやジップなど細かいディテールにこだわり、自ら生地を探して歩く。
「今はまず洋服を売るという意識があるので、デザイナーとしての自分を抑えている部分もある。もっとクリエーティブなものに挑戦していきたいので、そのための地盤を作っています。デザインの軸は変わらないですが、より斬新なものを発信していきたいですね」。今後はレッグウエアやバッグなどの小物類も手掛けていくという。どんな矢野ワールドが展開されるのか、ますます楽しみだ。

2010年の春夏コレクションから。構築的なデザインがブランドの特徴でもある。「デザインしているときに撮影のイメージも決まってきます」

2010年の春夏コレクションは、近未来的な世界観と、古着屋にあるヴィンテージのような色合いを融合させた。

profile

東京都生まれ。2000年からシルクスクリーンを使った家具作品を発表。国内はじめ、パリやロンドンなどでも個展を開催し、BECKのヨーロッパツアーTシャツのデザインなども手掛ける。05年、デザインタイド東京で受賞。
http://www.watarukomachi.com

ジョークとアイロニーを込め
ロックな発想でアートを展開

「アートワークって、ビジュアルがあるものすべてに当てはまると思う」と語るその言葉通り、小町渉さんのアートには境界線がなく、その発想は自由で楽しい。「アートというと一生モノだと考えがちですが、そんな大げさなものじゃない。もっと音楽を楽しむみたいに接してほしい。見たときに一瞬だけでもワクワクする、それだけでいいと思うんです」
 小町さんは2000年から、シルクスクリーンの手法を用い、ファッションやインテリアを中心にユニークな作品を世界中に発信してきた。「価値観の変換」を狙い、ハンドプリントでファブリックを張り替えた中古家具や古着のドレスなどは海外でも高く評価された。日本の伝統的な染め付けの手法を使った陶器の花瓶は、デザインタイド東京で受賞。「作品には、必ずジョークやちょっとした皮肉も込めています。メッセージ性のある言葉が先に浮かび、それに従って作っていくこともあります」
 様々なプロダクトで評価を得てきたが、最近は再びシルクスクリーンの直感的な作品に戻っている。「今は思ったものをダイレクトに出したい」。初期衝動だけが持つ感覚やエネルギー、スピード感を大切にしたいのだ。「今までやってきたものを今の自分が否定しないと前へ進めない。常にゼロから、やりたいことは全部やってみたいですね」

シルクスクリーンのタッチを使った最も新しい作品。「I’M NOT A SICK BOY」という言葉は、「”俺は病気じゃないよ”と言う人こそ病気だよ」というジョーク。「常に海外を視野に入れているので、言葉は意識して選びますね」

photo: Masahiro Sanbe
I'M NOT A SICK BOY 2009 SILK SCREEN PRINT ON CANVAS. 1620mm×1303mm

「染付下絵銅板」という伝統的な手法を用いた陶器の作品。あえて「HAVE A NICE DAY」というメッセージをプリントし、土産物屋にあるようなイメージに。第1回デザインタイド東京で受賞。

HAVE A NICE DAY! FOREVER 2005
陶器 染付下絵銅版

profile

1976年香川県生まれ。99年大阪芸術大学デザイン学科空間デザインコース卒業。2002年、「ISOLATION UNIT/TERUHIRO YANAGIHARA」を設立。国内外問わず、企業とのコラボレーションを中心に、様々なプロジェクトを進行中。

社会を変えていくデザインを目指し、
プロジェクトを提案

 海外においても高い評価を受けている、今最も注目の新鋭デザイナーの柳原照弘さん。家具などのプロダクトや空間のデザインを手掛けるが、根底にあるのは”モノ”というよりも”コト”のデザイン。「家具は、住環境の中に置かれるもの。家具を見せるためには、空間のデザインも必要です」。北欧を旅したとき、デザインが日常生活の中に取り入れられているのを目の当たりにし、その思いを強くしたという。 「まず状況があってデザインがある。デザイナー優先ではなく、より社会に広がるものを目指したい」。そこで、”デザインする状況をデザインする”をテーマに設立したのが「ISOLATION UNIT/」だ。デザインが社会の中で使われるしくみも含め、プロジェクトを提案していく。デザインコンセプトを伝えるため、海外での展示会やエキシビションにも積極的に参加。企業とのコラボレーションでは、流通やコストまで視野に入れ、企画から参加する。現在、ディレクションするカリモクの新ブランド「KARIMOKU NEW STANDARD」。広葉樹の間伐材を使い、家具にはデメリットである特徴を活かしながら、フレキシブルな作品のシリーズを展開する。
 「デザインイベントや空間プロデュースなど、国内外を問わず ”状況”を作っていきたいですね」。これからも、柳原さんの活躍に注目だ。

「KARIMOKU NEWSTANDARD」で提案しているSTOOLS。テーブルやスツールなど、使い手の状況の中で様々な用途を実現する。

美容室「RICORT」。洗練された美容室が乱立する東京に、ノスタルジーな記憶をとどめる空間を提案。ビルの内部に白樺が立ち並ぶ。

photo: Takumi Ota

profile

1979年茨城県生まれ。12歳で25絃箏と出会う。古典を学ぶため東京藝術大学へ。その後、25絃箏弾き語りをはじめ、新しい表現に挑戦。野外でのライブや、舞台役者・音楽監督など幅広く活動中。12月15日(火)には南青山・月見ル君想フにてライブ。
詳細は、http://karin-sound.com/

25絃箏と自身の言葉で日本人の魂を伝える

 25絃箏奏者であり、弾き語りも行うかりんさん。一般的な和箏(こと)は13絃だが、かりんさんが奏でるのは25絃。美しい形や音域の広さは豊かな表情と響きを生み出し、その演奏は魂を揺さぶるような圧倒的な世界観を持つ。
 音楽一家に育ったかりんさんが、両親の知人である野坂惠子さんを訪ね、彼女が考案した25絃箏に出合ったのは中学生のとき。大学では古典の13絃箏を学び、卒業後、箏の音色と自分の声でうたを作っていくことを決意。原点は日本の「田植え歌」だ。「そこには日本人のグルーヴがある。日本で育った楽器で、日本人の血を持つ自分が、日本語で歌う。いつもベースには田植え歌があって、私はこれを聴かせるために音や言葉に魂を込めているんだと思っています」
 かりんさんは「箏は私を乗せて旅をさせてくれる舟のようなひと」と語り、今年は2カ月半、13絃の小さな箏を担いで一人でヨーロッパを回り、ストリートで演奏した。来年も、ヨーロッパ流の舞台演出を吸収したいと話す。「私が感じるのは、特に日本の若者の、箏に対する先入観や固定観念の強さです。彼らに、箏の美しさや音色の可能性、面白さを伝えたい。日本人を引き込む美しい舞台を作りたい」。キラキラと輝く目には強い意志がある。夢が実現する日も遠くないだろう。

口に出した言葉は魂を持つ。「メインは箏ですが、これからも歌っていきたい。”一音魂入”をこの”ひと”とずっと一緒にやっていきます」

2006年、作詞・作曲を手掛けた25絃箏弾き語りファーストアルバム「KARIN」を発表。

25絃箏は日本音階のほかに西洋音階にも対応可能。絃をのせる柱(じ)を移動させてチューニングする。曲の途中で柱を動かすことも。