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 2004年9月 執筆前夜
恩田 陸 さんインタビュー (全4回)
取材・文/小山田桐子 撮影/石原敦志
第1回

 ゼロからひとつの世界を作り上げる作家の仕事。 ゼロが1になる瞬間ともいえる、一文字目を書き付けるその時に至るまで、 プロは何を考え、何をしているのか。プロの創作の秘密に迫るインタビュー、 今回は「六番目の小夜子」でデビューして以来、 本を読む悦びを堪能させてくれる多くの作品を執筆してきた 作家・恩田陸さんにご登場いただいた。 第1回ではデビューするまでについてうかがう。

 自身が高校時代に実際に体験した行事をモチーフとした青春小説「夜のピクニック」を7月に刊行した恩田さん。恩田さんの中でこの作品は、「六番目の小夜子」「球形の季節」に続く、高校三部作の完結編という位置づけになっているという。デビュー以来、恩田さんは、この三部作以外でも高校生を描いた話を数多く執筆している。

恩田:
高校時代って、仕事だとかそういった、利害関係が少ないので、関係が抽出しやすいんです。だから、シンプルに、しがらみなく書ける。大学生になると結構もう世間体というか、社会的な顔ができてきちゃっているんですけど、高校生はまだそういうものはない。だけど、中身は大人に近づいてきているっていうところも面白いなと思いますね。それから、高校時代ってわりと普遍的というか、多分、実際の高校生とかでも、歳をとった方でも振り返った時に、わりと変わらないものがある時代なのではないかと思うんですよ。


 恩田さんは、27歳の時、学園ホラー「六番目の小夜子」でデビュー。その作品について、あとがきの中で恩田さんは「この小説は衝動的に書き上げたもの」だと述べている。

恩田:
そう、勢いで書いたんですよ。いつか作家になりたいなと思っていたんですけど、それはもっと歳をとってからだって自分で思っていたんです。会社員時代はバブルの頃だったので、ものすごく忙しくて、忙しくて、もう本を読む暇も全然なくて、ストレスが溜まるくらいでしたし(笑)。でも、その頃に、ファンタジーノベル大賞でデビューされた酒見賢一さんの「後宮小説」を読んだんです。酒見さんは私より一歳年上なんですが、こんな若くてもこんな面白い作品書く人がいるのか、とものすごく驚いたのと同時に、別に早い時期から書いてもいいんだなって思ったんですね。それで書いたのが「小夜子」なんですけど。


 そして、その作品はファンタジーノベル大賞に大賞最終候補となり、恩田さんは作家デビューを果たすことになる。この「六番目の小夜子」はデビュー作であると同時に、恩田さんが初めて描いた小説であるという。

恩田:
漫画は描いていたんです。もちろん趣味でですけど。デビュー前に、もうちょっと文章書いて、誰かに添削してもらうとか、修行期間があったほうがよかったなっていうのはしばらく思いましたけどね。もう、修行は書きながらしている感じです(笑)。結構最初の頃は、指針がなく書いていくというのが不安だったりもしたので、ちゃんと教えてもらった人がいるっていうのはうらやましいと思う時もありますね。


 しかし、多くの本を読み、自分が好きなものをはっきりと自覚することが、恩田さんの“修行期間”だったのではないか。現在も膨大な読書量で知られる恩田さんだが、とにかく様々なものを乱読してきたという。

恩田:
一応文学関係も読んだりしてましたけど、本当に乱読で、なんでもむちゃくちゃ読んでました。もちろん漫画もすごく読んでいましたね。高校生のころはミステリーばかり読んでました。ミステリーは小学生時代から好きで、クリスティとか少年探偵団なんかを読んでましたね。どうして、そんなにミステリーが好きだったかといったら、もう読むのが習慣になっていたからとしか言いようがないんですけど(笑)。まあ、やっぱり謎解きというものがすごく好きなんですよね。それに、読んでいく際に、クリスティを読んだら、次は、ミステリー文庫全部読むぞ、みたいなかんじで、具体的に制覇しやすいっていうのがあったのかもしれませんね。


 面白いものに触れることで、面白いものを作りたいという気持ちが生まれる、と恩田さんは言う。

恩田:
今にしてみれば、漫画を描いていたっていうのも、映画を観たり、漫画読んで面白かったという気持ちを、反芻するためだったのかもしれないですね。面白いものに接した時に、「ああいう面白い、すごいものをつくりたい!」って気持ちは絶対あったと思います。私としては、やっぱりエンタテインメントが好きなので、面白いということは全てに勝るというのがあるんです。社会人時代、こんなに忙しい中、読んだのに、なんだこのつまらない本は!っていう小説を読んだりして、現代において、時間泥棒というのはほんとに罪だなと感じたんですよ。だから、本を読む2時間、2時間半という時間を費やして、なおかつお金払っても後悔させないだけものは、というのはものすごく思っています。理解されなくてもいいから、芸術的なものをつくろう、という風にはまったく思ってはいないですね。とにかく読んで面白いもの、自分が読んでも面白いもの、読んで後悔しないもの、を書こうというのは、最初からありました。


 「三月は深き紅の淵を」の中にはこんな印象的なセリフがある。
「いいものを読むことは書くことよ。うんといい小説を読むとね、行間の奥の方に、自分がいつか書くはずのもう一つの小説が見えるような気がすることってない?」
 デビュー後、恩田さんはこれまで心の中にストックしていた“もう一つの小説”を読者に披露するかのように、次々と作品を発表していく。
第2回

 第2回では専業作家になった経緯についてうかがう。

 最初に勤めていた会社を辞めた後に執筆した「六番目の小夜子」で作家デビューした恩田さんだが、すぐに就職活動を始め、デビュー後も会社勤めをしながら、執筆していたのだという。

恩田:
デビューした時、編集者に会社辞めないでくださいって真っ先に言われたんですよ。これで食べて行けるとは限らないので、お給料がもらえる勤め先があるんだったら、絶対辞めないでくださいって言われたんですね。まあ、もちろん、自分でもこの先書いていけるか、分からなかったので、会社勤めをしながらしばらく書いてましたね。


 しかし、作家としての仕事が増え、会社員との両立が難しくなってきた頃、恩田さんは作家専業でやっていくことを決める。

恩田:
2社目に勤めた会社が最初のうちは暇だったんです。だから、結構早く帰れて、書く時間もあったんですけど、やっぱり年齢も上がると、それなりに人をみる立場になることもあって、どんどん忙しくなってしまったんですね。少しずつ書いていくうちに、小説の注文が増えてきたこともあり、物理的に持ち堪えられなくなってきた頃、今度は複数の編集者に「もうそろそろ、会社辞めちゃってもいいんじゃないですか」って言われたんですね。そう言われたことはとても印象に残っています。もうこの人は筆一本でやっていけると思ってくれる人が何名かその時点ではいたっていうこともあって、作家の方を選びました。


 専業作家になった恩田さんは早いペースで次々と作品を発表していく。

恩田:
習作がなくデビューしてしまったので、最初はとにかくもう量をこなそうと思って積極的に注文を受けたんですね。ある程度仕事は量をこなさないと分からないところもある、と思ったので、その頃はこれは修行だってひたすら書いていました。ただ、やっぱり走り続けるのってすごくしんどいので、今も書き続けているモチベーションは何かといえば自分でもよく分からないですね。ほとんど意地かもしれません。つまんなくなったとか、書かなくなったと言われるのがシャクだしなあっていう(笑)。


 ホラー、ミステリー、SFといった様々なジャンルの作品を次々と発表している恩田さんだが、自身には多ジャンルを跨いで創作しているという意識はあまりないそうだ。

恩田:
飽きっぽいっていうか、気分を変えるために、なるべくいろんな種類を書いているっていうことはありますね。ただ、今の世の中で、ジャンル分けするっていうのは、ほんとにナンセンスだと思うんです。「これだけ情報が溢れてるんだから、ジャンルミックスにならない方がどうかしてる」とあるミュージシャンがおっしゃっていたんですが、私もそう思いますね。これだけいろいろ要素が入っているんだから、分けてもしょうがないじゃないかって感じがするんですけど。


 また、恩田さんの作品の魅力のひとつに、いくつかの作品同士が微妙に重なりあっているということがあるだろう。緻密に計算されているように思われる設定だが、はじめから構想されているものではないのだとか。

恩田:
なんとなく書いたんです。もう、自分でもどういう風に重なっているか分からないですけど(笑)。ただ、一つの作品の中にすっぽり違う作品が入るような、入れ子にしちゃうとやっぱり面白くないんで、ところどころ重なりつつ、拡がっていくという風にしたいなと。だから、かちっと限定しないで、漠然と拡がっていくようにはしたいと思っています。


 また、作品の中では魅力的な小説が多数引用され、読書家である恩田さんの本に対する思いと造詣の深さをうかがわせる。

恩田:
いや、読んでも、片っ端から忘れてますから(笑)。ちゃんと憶えていて、体系立てたり、語れる人を読書家と言うんだと思うんですけど、私は自分が面白くなかったものとか、興味を感じなかったものを片っ端から忘れていくんで、それは読書家とは違うんじゃないかと。ただ、自分の本の趣味ははっきりしてますね。その自分が読みたいものを書いているというのはあります。私の好きなようなものを好きな人は、いつの時代にも一定数はいるんじゃないか、っていう自信はあるので、そういう人たちに向けて書いているという感じですね。自分が新しいものを作れるなんて大それたことは全く思ってないんですよ。気持ちのいいお話というのは大体もう何パターンかに決まっている、というのが私の意見なので。だから、あとはもう演出をどう変えるかだけだと割り切っているんです。そういう意味でも、先行作品への尊敬は出していきたいというのはすごくありますね。


 次回では、新刊「夜のピクニック」についてうかがう。
第3回

 第3回では新作「夜のピクニック」についてうかがう。

 7月に刊行された恩田さんの最新刊「夜のピクニック」は、80キロを歩き通す“歩行祭”という高校のイベントを描いた青春小説だ。この行事は、恩田さんが実際に体験したものなのだとか。

恩田:
高校の時の行事をほぼ忠実に再現してみました。私は転校が多かったので、ひとつの学校に入学から卒業までいるというのは高校だけだったんです。そういうこともあって、その高校時代の行事がすごい印象に残っていたんです。書くことで反芻したいという気持ちがどこかにあったのかもしれません。とにかくこれを一回どこかで書いてみたいなあ、と思っていたんですね。だから、構想はかなり前からあったんです。もともと「六番目の小夜子」と「球形の季節」とこの作品で三部作にするつもりだったんですけど、ずるずると他の仕事をしているうちに、歳月が経ってしまって。最初は、それこそ「小夜子」とかに近いような、ホラーっぽいものにしようとか、ミステリーっぽいものにしようとか考えていたんですけど、書いているうちにいらないなって思って、結局はストレートな話になりました。まあ、これはこれでよかったと思っているんですけど。

 シンプルな青春小説ではあるが、 小さな謎が次々に提示され、読者をぐいぐいとその作品世界に引きずり込む。丁寧に構想が練られた小説のようにも思われるが、実はそうではなく、恩田さんはたいていの作品もプロットなしで書くのだという。

恩田:
具体的なプロットはほとんど考えないで書き始めていることが多いです。書きながら考えるもので。ただ、まあ、私はほんとに漫画が大好きだったんで、少年漫画の連載もののセオリーが体に刷り込まれているんですよ。だから、やっぱりストーリーには“引き”がなきゃいかんというのが染みついているんで、もう考えなくともそろそろこの辺で引っぱっとかないと、っていうのが自然に出てくるんです(笑)。

 では、どのようにストーリーは作られていくのだろうか。

恩田:
まあ、いくつかの場面があって、それにつながっていくように話を作っていくという感じですね。こういうところに二人が並んで立っている、とかとにかく一場面が浮かぶんです。それらがどんな順番で出てくるか、どんなふうに使うのかも分からないんですけど。そのシーンを使うために粘って書いていくしかないんです。あと、読後感でイメージしてますね。読み終わって、こんな気持ちになる話、という漠然とした目標はあります。「夜のピクニック」に関しては、ただもう爽やかに終わるということだけが目標でした。これの前に出た「Q&A」は後味悪い話だと言われたんで、今度はお口直しに後味爽やかな話をって(笑)。

 何人もの生徒が登場するが、いくつかの場面でしか登場しないキャラクターであっても鮮烈な印象を残す。恩田さんはキャラクターの設定もまた事前にあまり考えないのだという。

恩田:
これも書いてみないと分からないんですよ。ひとりキャラクターを決めて、あとはこういう人が友達になるのはどういう人だろうっていうのを考えていると、自然と決まっていきますね。会話させてみるとすごく性格が出るので、じゃあ、次はこういう人が出てきそうだな、と芋づる式にどんどん出てくるっていう感じですね。だから、最初から人物設定とか相関図みたいなのを作ったりしているわけではないです。それに、きっちりキャラクター設定しちゃうと、関係が動かなくなっちゃうんですね。私は関係が微妙に変わっていく話が好きなんですよ。敵か味方かも分からない、どっちにも転びそうな境界線上の人がしゃべったり、付き合っていくうちにその関係を変えていくということは、私にとってはすごい自然なので、だから書くときはそういう風になりますね。

 恩田さんにとって会話は重要だというが、この作品はひたすらに歩き続ける生徒たちの時に他愛なく、時に切実な会話自体がひとつの魅力である。会話を描くためには“移動する”というシチュエーションがあっているという。

恩田:
話を進めるためだけの会話だとどうもつらいものがあるのですが、そうじゃない会話を無理なく書くのって難しいんですよ。それが、旅とか移動する話だったら無理なくしゃべらせられるんです。「黒と茶の幻想」とか「まひるの月を追いかけて」もそうですけど、旅しながらしゃべるというのは好きな設定ですね。それに、旅は最初と最後がはっきりして、旅の終わりが物語の終わりにもなるので、お話にしやすい。この小説も行事の最初と最後がすごくはっきりしてるんで、設定としては書きやすかったですね。

 次回では創作のヒントをうかがう。
第4回

 第4回では創作のヒントについてうかがう。

 本好きをも唸らせる様々な作品を生みだしてきた恩田さんだが、そのアイデアはどのように生まれてくるのだろうか。

恩田:
映画とかを観て思い付いたりすることもありますね。やっぱり面白い映画を見ると刺激されますし、逆に、すごくつまらない映画でも、私だったらこうするのに!ってアイデアが浮かんだりしますし。ほんとにきっかけはすごい単純で、一個だけだったりしますね。「六番目の小夜子」の場合は、呼びかけ(文章を大勢でひとりワンセンテンスずつ読んでいく行為)のアイデアだけあったんですよ。呼びかけでホラーやったら怖いだろうなって思って。とにかくそのアイデアだけあって、それから前後の話を作っていったんです。だから、雄大な構想があって、そのとおり書くなんてことは全然ないですね。まあ、資料とか読むときもありますけど、結局、私の場合書いてみないと分からないんで、特に書くための準備はしていないです。旅行に行って、それを舞台に書くこともありますけど、あんまり厳密な取材もしないですね。


 とにかく、書き出さないと何も分からない、と恩田さんは言う。

恩田:
まあ、書きながら考えるっていう。いつも構想が間に合わないけどもう書き始めなきゃって見切り発車しているというのが現実です。だから、事件や謎を扱う場合は大変ですね。なんとなく伏線らしきものを張っておいて後で考えるってことが多いので。後で登場人物と一緒に推理するなんてことも多々あります。あんまり言いたくないですが(笑)。この方法は人にはお勧めしませんね。やっぱりちゃんと考えて書くべきだと思います。


 恩田さんの作品はエンタテインメント性に優れたものばかりだが、例えば「夜のピクニック」では学校行事が扱われているように、身近なことも題材としている。学校行事の思い出も、恩田さんの手にかかると一夜の奇跡の物語となる。恩田さんの作品を読んでいると、どんな体験をしたか、ではなく、どんな風に見て、どんな風に感じたか、が小説を書く上で重要なのではないかと思えてくる。

恩田:
それこそね、人生の辛酸をなめ尽くして作家になりましたとかいう、特殊な体験がある人もなんだかうらやましいと思うんですけど、それならば小説じゃなくて体験談を書けばいいんだと思うんです。私はエキセントリックな芸術家っていうのをあんまり信用していないんですね。普通に暮らしている中で、作るというのが大事ではないかと思うので。とにかく、どんなことでも面白がれるか、そしてその上でどう演出するかだと思います。


 ページを繰る時間ももどかしいような作品を次々と発表してきた恩田さんだが、最近“面白いということ”のとらえ方が拡がったのだという。

恩田:
以前はとにかくジェットコースターのようなストーリーを書きたいと思っていたんですけど、最近では面白さにもいろいろあるんだなって思うようになりました。面白いものだけを集めれば面白いかっていうと、そういう訳じゃなくて、面白くないものも含めて面白いってことがあるんだなっていうのがやっと分かってきたというか。だから、今はただ読んでいて何となく面白い本を書きたいですね。最後はどうなるんだろうと思って一生懸命読むんじゃなくて、とにかく読んでいる途中が面白い、浸ってるのが楽しいっていう小説を書いてみたいですね。
恩田 陸● おんだ りく
1964年生まれ。92年、日本ファンタジーノベル大賞の最終候補作となった「六番目の小夜子」でデビュー。以来、ホラー、SF、ミステリーなど既存のジャンルにとらわれない、独自の作品を数多く執筆し、多くのファンを魅了し続けている。7月に新潮社より待望の新作「夜のピクニック」が出版された。「球形の季節」「三月は深き紅の淵を」「黒と茶の幻想」「木曜組曲」「光の帝国 常野物語」「ネバーランド」「図書館の海」「禁じられた楽園」「Q&A」ほか著書多数。
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